19世紀初頭、アブラアム=ルイ・ブレゲは、懐中時計におけるトゥールビヨンに情熱を注ぎ、時計史にその名を残した。それから約200年後の2004年、ロベール・グルーベルとステファン・フォルセイは、腕時計の最高精度を記録する「ダブルトゥールビヨン30°」を発表し、その名を時計史に刻んだ。
2004年のバーゼルワールドのことは、11年経った今でも鮮明に覚えている。独立時計師たちの小さなブースが立ち並ぶホール5。気鋭の天才時計師たちが登場した、と紹介されて手に取ったグルーベル フォルセイの第1号作品「ダブルトゥールビヨン30° ヴィジョン」。回転速度と角度の異なる二つのトゥールビヨンケージに包まれたテンプが、引力の影響から見事なまでに解放されて、正確な時を刻む。前代未聞のコンプリケーション機構の登場に目を見張り、グルーベルとフォルセイの名前は脳裏に深く刻まれた。その後も二人の天才時計師の機械式時計への情熱と敬意は、10年で七つの発明と18のキャリバーの完成で証明される。それは、四つのトゥールビヨンを組み込んだ「クアドゥループル・トゥールビヨン」、球体で世界時計を表示する「GMT」など、次々と卓越したコンプリケーションへと姿を変え、世界中の愛好家たちに絶賛されるようになった。
2006年には、リシュモングループが20%のマイナーホルダーとして資本参加。2009年には、ユネスコ世界遺産に登録もされている機械時計の聖地、ラ・ショー・ド・フォンに新しいアトリエを設立し、今では17名の時計師と18名のデコレーション要員を含む115名で年間約100本の作品を作り上げるまでになった。同時に、ジュネーブ時計大賞「金の針」賞、国際クロノメトリーコンクールにおける史上最高点での優勝、時計産業におけるノーベル賞とされるガイア賞などを次々と獲得。誕生からわずか10年でグルーベル フォルセイは、機械式時計の雄として不動の地位を築いたのだ。
時計史にその名を残すことになる伝説のタイムピースが生まれるのは、標高1000m、冬は雪に閉じ込められるラ・ショー・ド・フォン。旧市街から離れたエリアには、いくつもの名門マニュファクチュールのアトリエが立ち並ぶ。中でも、グルーベル フォルセイの建物は、とりわけ目を引く。17世紀の農家をエントランスとして連なるアトリエの屋根には芝を生やし、地面から生えてきたかのように、自然に溶け込んでいる。また2層のガラス窓による光と風が、年間を通して時計作りに最高の環境を与えてくれる。伝統を愛しつつ革新を追求するブランドの哲学が体現された空間だ。
アトリエ内は、設計、メタルプラックからの部品製作、メタルバーからの精密部品製作、研磨、組み立て、コントロールなど、さまざまなセクションに分かれており、その精度は誤差2µ以下と通常の時計メーカーの10倍以上と言われている。いずれも大きなガラス窓越しに、スイスの美しい山を眺められる空間で作業が行われ、究極の技術が追求・実現されている。設立当時は部品を外部オーダーすることもあったが、理想とする作品を実現するため、すぐに、ごく微小なねじ一本に至るまで自社製造に切り替えた。
部品に対するマニアックなまでの精度追求、それを受けて一つひとつ手で磨き上げられる繊細な研磨、一次組み立てを経ての解体、微調整、本組み立て、そして幾度にもわたる厳格な検査。一つの作品を作り上げるのに必要なパーツは、400~800。それらが絡み合って崇高な機械式時計の理想を現実にしているのだ。手に取った人が感じるのは、至高の技術に宿った美しさ。そう、グルーベル フォルセイの魅力は、その価値をよりいっそう高めるアーティスティックなところにもある。
そんなアートへの情熱は、全てのモデルの細部に宿る一方で、超ミニチュアアートをケースに閉じ込めてベゼルに組み込み、リューズのルーペから23倍に拡大されたオリジナルオブジェを見ることのできる「アートピース1」で昇華されている。今でこそスタッフ115名で年間100本ほどの製作が可能になったが、2004年の創業当時は10名で16本を製作するのみだった。常にバックオーダーを抱えているが、理想のクオリティーを保つため、生産数を現在より増やす考えはない。
いまだに、世界中に存在するグルーベル フォルセイの時計は1000本にも満たない。希少価値の高い、幻の超高性能機械式時計なのである。それを手にリューズを巻くとき、高揚感と喜びのエモーションに包まれる。
●ヴィタエルーキス
TEL 03-6421-7533
※『Nile’s NILE』2015年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています