2年前。マスターズ初優勝を達成したバッバ・ワトソンは母の胸で号泣した。そして今年。2年ぶり2度目のマスターズ覇者に輝いたワトソンは、うれし涙を見せたものの、号泣はしなかった。大勢のファンと喜びを分かち合う姿にはビッグスターの風格が漂い、息子を抱き抱える左腕には、彼の現実を刻んできた白い時計が輝いていた。
マスターズで複数回優勝を果たしたのは史上17人目。初優勝のときは、プレーオフ2ホール目で右の林の奥からグリーンを捉えたミラクルショットが勝利の一打となった。が、今回はそういう劇的なシーンがあったわけではない。「振れば飛ぶ」という生来の飛ばし屋は、ピンクのドライバーを握り、フェアウエーの先へ先へと進んでは「最大の武器」と自負するウエッジで淡々とグリーンを捉え続けた。あの週はパットも冴え渡っていた。持てる技術力全ての結集が勝利に結びついた。それならば、ワトソンの技術力を最大限に引き出し、生かしたものは何だったのか。その答えは、彼自身が「僕は変わった」と実感していた人間としての成長なのだと私は思う。
振り返れば、ワトソン夫妻がカレブ君を養子として迎えたのは2年前のマスターズの2週間前のことだった。待望の息子を得て、その直後にマスターズを制したワトソンは、しばらくの間、宙に浮いたような日々を過ごした。
「去年の僕はマスターズ優勝の余韻を引きずり、グリーンジャケットに二日酔いしている状態だった。優勝するとニーズは倍増する。毎週、あの黄色いフラッグに5000枚、いや1万枚もサインする。マスターズチャンプになり、父親になり、そして、いい夫になるべく、僕はすごいエネルギーを使っていた」
時間と体はいくらあっても足りず、「二日酔い」から早く醒めなければと、焦れば焦るほど気持ちは空回りした。去年の成績は一気に下降。マスターズは50位止まり。プレジデンツカップの米国選抜チーム入りもできずじまいだった。
そんなワトソンの救いになったのは愛妻アンジーとともに考え出したタイムマネジメントだった。
「カレブは日に日に大きくなっていく。妻のアンジーには休息の時間をあげたかった。そこで僕と妻は短時間集中型の練習メニューを作った。30分でも1時間でも、効率良く練習し、良き父、良き夫に戻る。その切り替えを僕は1年がかりで覚えた」
今年のマスターズには穏やかな気持ちで臨んだ。首位に立ち、最終日を最終組で迎えることになったとき、ワトソンは、テクニックや攻め方には触れず、生活のリズムや時間を気にかけるこんな言葉を連ねた。
「勝利へのカギは、今夜、できる限り眠ることだ。昨日は11時に寝て、目覚ましは10時5分に鳴った。妻の手作りの朝食を食べ、息子と裏庭で少し遊び、それからコースに来た。明日の最終日は暑くなる。だから今夜はできる限り眠り、優勝争いのためにエネルギーをセーブする」
いざ、最終日。早々にバーディーを重ねた20歳のジョーダン・スピースに首位の座を奪われたとき、乱れることなく挽回のチャンスを待ったワトソンの辛抱強さに彼の成長を感じ取った人は多かったはずだ。
「ターニングポイントは8番と9番だった」。2連続バーディーを奪ったワトソンは、2連続ボギーを喫したスピースを抜き返し、以後は一度も首位の座を明け渡すことなく、マスターズ2勝目を達成した。
「以前の僕は勝てなかったら激昂していた。でも今年は、たとえ2位でも、それを受け入れ、感謝する心を持てるようになった」。
だからスピースにリードされても焦らなかった。好機を待ち、到来したチャンスを生かして勝利を手に入れることができた。
「僕は変わった。カレブが僕を変えてくれたんだ」
再びグリーンジャケットに袖を通した気分は「夢のようだった」。時間も人間のエネルギーも決して無限ではないという現実に目を向け、地道な努力を重ねたら、夢のようなご褒美が舞い込んできた。
「僕はグレートだと言われたくてゴルフをしているわけじゃない。ただ好きだから、ゴルフをしている」
妻や息子が大好きで、ゴルフが大好き。好きなもののために時間を分かち合う努力ゆえ、きっと無理せず長続きする。となれば、ワトソンの勝利は、まだまだ増えていく。
「もう、誰もバッバの快走を止められない――」。そんな声がオーガスタのサンデーナイトに響いていた。
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※文・舩越園子 ふなこし・そのこ
在米ゴルフジャーナリスト
早稲田大学政経学部卒業後、広告代理店勤務等を経てゴルフジャーナリストへ。1993年渡米以来、米国ゴルフを取材し続け、日本の新聞、雑誌等へ幅広く執筆している。誰よりも豊富な生の情報をもち、選手や関係者たちからの信頼も厚い。近著に書き下ろしエッセー等の『ゴルフの森』(楓書店)がある。
※『Nile’s NILE』2014年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています