徳川家康が1603(慶長8)年に江戸幕府を開くと、城下町として急成長を遂げたのが日本橋である。全国各地から商人や職人が集まり、シンボルである「日本橋」が木造の太鼓橋として誕生したのもこの頃だ。その後、この橋を起点に五街道が整備されていく。また、水運に恵まれていたこともあり、多種多様な物質が集結・流通した。17世紀初めには日本橋と江戸橋の間、日本橋川の北岸に沿って魚河岸が開設され、1日に千両の取引があったといわれた。威勢がよく活気あふれる魚河岸は、1935年に築地に移転するまでの300年以上、日本橋のにぎわいの中心であった。
一口に日本橋といっても、実は日本橋室町のように「日本橋」とつく地名が21もある。中でも、日本橋の神髄といえるエリアが、現在の日本橋、日本橋室町だ。特に、都市再生特別地区内の指定を受けた日本橋室町東地区は、日本橋三越本店、三井本館といった歴史的建造物との調和を図りながら、日本橋らしい風情を残す、美しい景観をつくっている。具体的には、コレド室町や日本橋室町野村ビル、日本橋三井タワーなどの建物は、中央通りに面するファサードを、三井本館や日本橋三越本店にも見られる歴史的表情線(高さ100尺、31m)を尊重した連続的な美観を意識したデザインとしている。また、ファサードの素材や色彩も、自然石や重厚感があるものを選び、周囲の歴史的建造物と調和するような細やかな工夫がなされている。この歴史的な建築と現代的な建築の程よい共存が日本橋の粋を感じさせるのであろう。
この日本橋室町の都市再生計画で見事“復活”を果たしたのが福徳神社だ。由緒によるとこの神社は、貞観年間(859~876年)にはこの地に鎮座していたという。徳川家康を始め、歴代将軍からも厚く崇敬され、縁起のいい名前も相まって江戸時代には氏子である瀬戸物町や伊勢町の商人から絶大な信仰を集めた。ただ戦後の都市化の中で、神社の敷地が縮小され、ビルの屋上や一時は居酒屋の店内に神殿を構えていた時期もあった。
江戸時代、この福徳神社の南側の通りは浮世小路(うきよしょうじ)と呼ばれていた。“小路”と呼ぶのは、この地に屋敷があった町年寄、喜多村家の出身地、加賀の方言で発音されたからだ。そして、この浮世小路の東端北側には、古典落語の舞台となっている料亭「百川(ももかわ)」があった。落語「百川」は、主に東京で広く演じられ、六代目三遊亭圓生、十代目柳家小三治など多くの落語家が高座にかけた。料亭「百川」は、江戸屈指の料理茶屋として繁盛し、幕末にペリー艦隊が来航した際には、乗組員全員に本膳をすべて自前で提供したという粋な料亭。ただ、明治の初めに忽然と消え去り、謎に包まれた料亭でもある。
街に息づく歴史や伝統、空気感をうまく残しつつ、未来へとつながる新たな「街づくり」に成功した日本橋。この街をブランドの伝統と、先進的なテクノロジーを兼ね備えたボルボV60で走ってみる。日本橋のどの風景ともしっくりなじみ、伝統の力は究極のイノベーションであることを認識させてくれる一瞬であった。
VOLVO V60 T5 Inscription
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※『Nile’s NILE』2019年2月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています