ダニエルズとジュルヌ、天才時計師同士ならではの境地
着手から5年、25歳の若きフランス人時計師がトゥールビヨン搭載懐中時計を完成させたことは、好事家の間で大きな話題となり、彼のもとに注文が舞い込むようになる。その中に、ジョージ・ダニエルズ氏のコレクターとして知られるグシュウィント氏からの注文もあった。
「ルモントワール機構を搭載したモデルの注文でした。ダニエルズ氏はすでにこの機構を完成させていましたが、私はそれとは違うメカニズムでこの懐中時計を作り上げました」
しかしこの時計が、ダニエルズ氏とグシュウィント氏との間に、ちょっとした不協和音をもたらすことになる。
「時計に、製作者である私の名前を入れないでくれという注文だったんです。グシュウィント氏は、完成した懐中時計を他のコレクターたちにしばしば披露していましたが、ダニエルズ氏には隠していた。ところが徐々に話題になり、ダニエルズ氏の耳にも入る。しかし誰が作ったのか分からない。それがダニエルズ氏をいらだたせてしまったようなんです。当時のその経緯を含め、なぜ私があなたに感謝しなければならないか、ということを綴った手紙を、ダニエルズ氏が亡くなる前年、2010年にロンドンでお目にかかった際に手渡しました。確か1984年にサザビーズで会った時が最初だと思うのですが、以来30年弱のお付き合いでした。ダニエルズ氏から、娘を紹介するから結婚しないか、なんて言われたこともありましたよ。すでに彼女がいたから断りましたが(笑)。ブレゲがマリー・アントワネットの依頼で作った懐中時計NO.160を二人で再現しようか、と話したこともありましたが、その時、ダニエルズ氏はこう言っていました。『すでに存在していたものを作り直すより、新しい喜びを見いだせるものを作るべきじゃないか』と。その言葉は深く心に残っていますね」
Invenit et Fecit(アンヴィニ・エ・フェシ)―発明し、製作した。
1999年のブランド創立以来、F.P.ジュルヌのブランドロゴの下に、この言葉が常に添えられている。
ウォッチメイキングの伝統にリスペクトを捧げながら、過去の模倣にとどまることなく、新たな喜びを見いだせる発明を付け加え、それを実現させる。このスピリットは、ブランド創立以前に培われていたものだったことが、このエピソードからも分かるだろう。
ブレゲからジョージ・ダニエルズへ、ジョージ・ダニエルズからフランソワ︲ポール・ジュルヌへ。天才だけが手繰り寄せることのできる特別な規範に則って、彼は未来に向けた時計を作り続けている。