問題児がトゥールビヨンを完成させるまで
鼻っ柱の強そうな、長髪の少年の写真が、F.P. ジュルヌのヒストリー・ブックの最初のほうに載っている。若き日のジュルヌ氏である。
1957年、マルセイユに生まれた彼は、幼少期から時計師としての才能を発揮していたわけではない。それどころか、地元の時計学校を退学処分となり、その後、パリで時計修復工房を営む叔父のもとへ送り込まれ、夜間はその手伝いをしながら、パリで改めて入学した時計学校を何とか卒業する。
彼いわく「一般教養の授業には興味が持てず、全く授業を聞いていなかった」そうだが、ウォッチメイキングに対してだけは不思議と真剣に取り組むことができた。
叔父の顧客が集まるサロンで目にする17~19世紀の時計も彼の心を捉え、自分で一から時計を作りたいという衝動を抑え切れなくなってしまう。ついには、当時技術の継承が途絶えていたトゥールビヨンを自分の手で蘇よみがえらせようという無謀な挑戦に乗り出す。弱冠20歳の時だ。
トゥールビヨンとは、史上最も偉大とされる時計師、アブラアン︲ルイ・ブレゲが開発し、1801年に特許を取得した機構である。腕時計や懐中時計において精度を司つかさどるのが、ヒゲゼンマイやアンクル、ガンギ車などから成る調速脱進機構だが、これは、通常一定の位置に固定されている。これを機構ごと1分間で1回転させ、重力の影響を平均化し、精度を高めるメカニズムである。設計から組み立てに至るまで、極めて難度が高いことが知られている。
教官もいなければ、手本となる実機もない。自分の頭で考えるしかない中で、イギリス人時計師のジョージ・ダニエルズ氏が著した『ウォッチメイキング』と、ブレゲ研究の成果をまとめた『ジ・アート・オブ・ブレゲ』の2冊だけが指針となった。
「ジョージ・ダニエルズ氏の二つの著作は本当にすばらしいものです。時計学校では教えてくれないことがたくさん書かれている以上に、ウォッチメイキングの文化を理解するうえで極めて重要。実際、自分の最初のトゥールビヨン搭載懐中時計を製作した際に大いに参考にしたものです」と、ジュルヌ氏も、ダニエルズ氏へのリスペクトを隠さない。
ジョージ・ダニエルズ氏は、20世紀後半以降で最も重要な仕事をした時計師の一人と言っても過言ではない。前述した2冊は、現在も時計製造や修復に携わる技術者のバイブルとなっているのみならず、氏が手掛けた懐中時計の数々は、往年の名機に優るとも劣らぬクオリティーを誇り、没後8年を経た現在も評価が高まる一方だ。オメガが採用したコーアクシャル脱進機の原理を考案した功績も大きい。
「初めて彼が手掛けた時計を知ったのは、パリで叔父が営んでいた時計工房を手伝いながら、時計学校に通っていた18歳の頃でした。叔父の顧客でもある一人のコレクターが、ベストの片方にブレゲ、もう片方にジョージ・ダニエルズの懐中時計を忍ばせていました。それを目にしてから、自分の時計を作りたいという思いが湧き上がってきたんです。だからダニエルズ氏の存在は大きかったと言わざるを得ません」