今の時代においても、新酒が珍重される日本酒業界にあって、あえて酒を寝かせるということにこだわり、50年もの長きにわたって熟成された日本酒が、ついに今年リリースされた。
50年前といえば、1973年、ちょうど日本酒の国内向け出荷がピークに達した年だった。右肩上がりの経済を支えてきたサラリーマンたちの癒やしの晩酌。日本酒はそんな位置づけであったのだろう。日本酒業界が活気にあふれ、醸せば醸すだけ売れた時代だ。この年に、仕込んだ酒の出来上がりをみて、古酒の価値を見出し、あえて熟成させることを決断した技師長(醸造責任者)がいた。1年ごとに技師長が「呑み切り」という検査を行い、もう1年、もう1年と、大切に寝かされていった。その作業は、まるでもの言わぬ酒の声にじっと耳を傾けるようなものだったのではないだろうか。
その間に、技師長は何代も代わったが、その貯蔵タンクは大切に受け継がれていった。不思議なことに、30年が経つ頃までは、色づきが進んでいったが、それを超えてさらに熟成が進むと、いくつかの成分が澱(おり)になって沈み、澄み渡るクリアな黄金色へと変化していったというのだ。実際に時間を重ねてみなければ分からないこうした変化を、驚きと期待を持って見守り続けてきた。そうして、50年が近づくにあたり、人知れず受け継がれ、熟してきた古酒をしかるべき人たちに届けたいとの思いから、熟成酒ブランド『八継』が誕生した。
製造元は、「日本一の酒どころ」として知られている兵庫県神戸市灘区に蔵を構えて300年の歴史を持つ沢の鶴。酒造りに適した土地で水と米にこだわりながら脈々と守られてきた丁寧な技術があってこそ生まれたのが『八継』だ。
継という字には、米という字が隠されている。これもまた、『八継』のこだわりの一つである。1995年に発生した阪神・淡路大震災では、沢の鶴の酒蔵も甚大な被害を受けたが、この貯蔵タンクは難を逃れ、熟成酒を守ることができたという。日本酒を超えた唯一無二の希少な雫を味わうことができるのはそうした幸運が重なった奇跡なのだ。
今回、数量・期間限定でリリースされたのは、「八継 刻50 純米」と、「八継 刻50 本醸造」の2種だ。光を透過させた琥珀(こはく)のように澄み渡る至極の液体。貯蔵庫の中で眠り続ける限りさらに熟成は進むため、50年熟成の味は今しか感じることができない。これまで日本酒の世界には、ワインのヴィンテージやウイスキーのエイジングのような考え方がなく、熟成酒はいまだに広く認知された存在とまではなっていない。現在も日本酒業界では熟成期間3年以上で熟成酒といわれるが、この「八継 刻50 純米」、「八継 刻50 本醸造」の登場によって、明らかに日本酒の価値に異なる世界観をもたらしてくれるに違いない。時という浪漫(ロマン)を感じながら、じっくりと味わいたい。
●HAKKEI