楊さんが生まれ育ったハルビンは、とても寒い。とくに冬の朝は、時としてマイナス40度にもなるほど。冬が長く、毎冬「氷雪節(氷祭り)」が行われるため「氷の町」との異名を取る。夏は気温も上がるが、さすがにかき氷を食べる文化はないようだ。「でもアイスキャンディーは食べましたよ」と楊さんは、幼少期を振り返る。
「私はヤな子でね、両親が勤めに出るというと、しがみついてワンワン泣くんです。姉2人と兄1人、子どもだけで家にいるのが心細かったのかもしれません。そんな時、困った母はよくおこづかいを1分、くれました。今の日本のお金だと1円かな。一番小さな単位のお金です」
「その1分玉を握りしめて、道端でアイスキャンディーを売ってるおばあちゃんのところにすっ飛んでいく。本当は買えないの、キャンディーの値段は3分とか5分でしたから。でも『キャンディー、ちょうだい!』と1分玉を差し出すと、おばあちゃんは『またママはお出かけ?#12303;って笑いながら分けてくれました。売り物にならない小さなかけらを、私が持参した大きなコップにバラバラッと入れてね」
「姉と兄は買えないとわかっていて私を行かせたから後ろめたかったのでしょう。ベッドの下に隠れて、私の帰りを待ち受けてました。
それで帰ると、『もらえたの?』と寄ってきて、みんなでコップに群がって食べるんですよ。楊家では、今でもよく話題になる夏の思い出です」
キャンディーは砂糖水を凍らせたような、ただ甘いだけのお菓子だったが、子どもにとっては刺激的で、ある種の贅沢だったそうだ。
そんな楊さんが初めてかき氷を食べたのは、留学生として来日した1987年の夏、「町内会のお祭りで食べたいちご味のかき氷」だった。
「当時は貧しくて、昼間は学校で勉強し、夕方5時から翌朝8時まで15時間、工場で働いていました。休みもほとんどなくて」
「半年くらいしてようやくお盆の休みがもらえて、その時にちょうど町内会のお祭りに連れて行ってもらったんです。そこで大家さんがごちそうしてくれたのがかき氷でした。赤、緑、黄色と、あまりにも色が鮮やかで、正直、『口に入れて大丈夫かしら』と思いました。でも思い切って口に放り込みむと、その瞬間、体がすーっと冷えていくよう。爽やかな涼味が広がりました」