20年前、自治省官僚として鳥取県庁に赴任した日、空港に降り立った時のことを、平井伸治知事はよく覚えている。日本海に流れ込む黒潮が冷たい海に出合い、空に向かってモクモクと湧き上がる水蒸気と、海にかかる靄(もや)の織り成す幻想的な風景を見て、「ああ、これからここで暮らし始めるんだな」としみじみと思ったという。
「正直、鳥取と言えば砂丘と二十世紀梨、程度のイメージしかなかったんですが、来てすぐに認識を新たにしました。温泉は豊富だし、食べ物はおいしくてリーズナブル。また夏は、小島浮かぶ浦富(うらどめ)海岸に代表される絶景の中、青く透き通った海を泳ぐ楽しみがあり、冬は大山(だいせん)周辺のスキー場で遊べる。別天地なんです。それなのに遊びに来る人が少ないのか不思議でした。原因はセールス下手で引っ込み思案という県民性にあったんですね」
平井知事のユニークな発案の一つが「県の改名」だ。「前に赴任した福井では、越前がにが自慢の逸品で、浜ゆでだから新鮮、旨いと人気でした。値段も高くてね。鳥取の松葉がにも同じズワイガニで同じくらいおいしいのに高値がつかない」という。
「売り方が問題だと思った」知事は、2014年から日本一カニの水揚げが多いことから、「蟹取(かにとり)県」へ改名し、「蟹取県ウェルカニキャンペーン」を展開した。と同時にブランド化を進め、2015年には特選とっとり松葉がに「五輝星(いつきぼし)」というトップブランドもつくった。昨年の初競りで1杯200万円もの値がつき、「競りで落札された最も高額なカニ」として、ギネス世界記録に認定された。
「農産品では、スイカが本県の稼ぎ頭の一つ。ブランド化を考えるうえで振り返れば、2008年にドバイに乗り込み、王族に一玉3万円のスイカを売ったことがターニングポイントでしたね。全国ニュースになって、高級イメージが浸透しました。あと、鳥取和牛はオレイン酸の含有量が豊富で脂が違っておいしいと人気が高い。
中でも種雄牛の『白鵬(はくほう)85の3』は、2017年に開催された“和牛のオリンピック”と称される全国和牛能力共進会で『肉質日本一』のお墨付きを得て、子牛は全国からひっぱりだこです。ゲノム解析といった、先端技術を駆使して、『隆福也(たかふくなり)』や『元花江(もとはなえ)』など次世代エース候補の種雄牛が続々と誕生しています」 と胸を張る知事は、「蟹取県」のようなインパクトのあるワンフレーズPRが実にうまい。また「小さい」「人口が少ない」「大手チェーン店がない」など鳥取県のマイナスイメージを逆手に取って「スタバはないが“すなば”はある」
「ドンキはないけどノンキに暮らせる」などの笑えるキャッチフレーズを打つことや、弱点を強みに変える戦略にたけている。
「人口が少ないのは非常に大きなハンディキャップですが、だからこそ人と人の距離が近い部分があります。学者も医師も行政マンも弁護士も若い起業家も、いろんな職種の人たち皆が知り合い。“顔が見えるネットワーク”でつながっています。これを生かせば、大都市とも互角で戦えます。例えば地元企業の製品開発に産学官がどぶ板的に関わり合うとか、災害時に迅速かつきめ細かく、柔軟に支援を行うなど、皆が知恵を絞り、持てるパワーを発揮しています」
小さなコミュニティーだからこそ密な関係性が持てるし、活動の小回りが利く、ということだろう。
また人口減少は、「ポジティブに捉えるのが難しい問題だが、指をくわえて見ているわけにはいかない」。かねて積極的に移住政策を進めていて、昨年は20~30代を中心に移住者が2000人を超えたという。
「皮膚感覚で、東日本大震災を境に、若い層を中心に価値観が変わってきたように感じています。子育ての環境がいいことをアピールしたのが移住者の増加につながったのかもしれません。あと国の政策に先駆けて、保育料の負担軽減を進めました。最初に取り組んだ若桜(わかさ)町では、子供が少ないので、完全無償化しても県と町が折半して計900万円で実現。大都市にはできませんよね」
そういった施策が功を奏して、人口減少に若干ブレーキがかかり、出生率も1・43(平成20年)から1・61(平成30年)に上がったそうだ。次なる課題は「若い男女の婚姻率を上げる」こと。隣の島根県と連携して婚活イベントを支援するなど、地道な取り組みを続ける。「県外女性を対象にした婚活イベントでのカップリング率が7~8割になったこともあるんですよ」と相好を崩す知事の目には、「大都市にはない鳥取の魅力に気づいた若い人たちが移住し、生きがいを感じて暮らす鳥取の近未来」が見えている。
※『Nile’s NILE』2019年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています