デュレスタ社のショールーム入り口の横には「オリジナル椅子」という説明がついた一枚のモノクロの写真がさりげなく掲げられている。
イギリス中部ノッティンガムシャー州にある人口およそ3万8000の町ロングイートンは、靴やカスタムカーなど優れた手工業製品の街として知られている。1939年、デュレスタ社はこの街で誕生した。
ハロルド・ハッチングスは室内装飾について優れた才能の持ち主で、500ポンドの融資を行ってくれた母に、最初に作ったウィングチェアを贈った。その椅子こそが「オリジナル椅子」と呼ばれ、デュレスタ社にとって創業の礎であり、企業理念の象徴として掲げられているのだ。以来、高品質の製品を作り続け、優れたソファを製作する企業に成長。現在、およそ180人が働いている。
その製品は世界で多くの富裕層やセレブリティーの愛顧を受け、ウィンザー城、バッキンガム宮殿、首相公邸などの英国王室や政府機関にも納入。またプーチン大統領を始めとする各国の政治家、プロサッカー選手のデービッド・ベッカム、ハリウッドスターのハリソン・フォードなどの邸宅でも使われているという。
社長のクライブ・K・ブラウン氏は、こう述べる。
「私たちには長い、それもすばらしい顧客リストがあります。しかし、顧客が求めているのはブランドネームではありません。私たちが最も誇りとしている品質であり、デザインやセレクションこそが求められているのです。
そして長い間使えるものも求められています。有名ブランドであっても、必ずしも優れた製品ばかりとは限りません。たとえばアストン・マーティンやベントレーのように、美しく高品質であることがデュレスタにとっては重要であり、ブランドネームではないのです。幸いなことですが、それによって私たちは世界中の愛すべき多くの顧客から支持を得ているのです」
またブラウン氏は、伝統をとても大切なものと考えている。しかしマーケットのグローバル化や生活環境の変化はもちろん、時代とともに変わる顧客の好みにも対応していかなければならない。デュレスタ社では、伝統を継承しながらも、さまざまな変化に応じて新たな挑戦を続けてきた。
「私がこの仕事に携わって25年になりますが、この25年間はとりわけ変化し続けてきた時期だと思います。デザインやシェイプもよりファッショナブルになりました。当時は90%が伝統的な製品で、クラシックで緻ち 密みつな柄合わせをしたパターン、そして金や赤などの色が好まれましたが、現在では逆転しています。伝統的な製品はわずか5〜10%にとどまり、シンプルで生地もプレーンなものへと顧客の好みが変わってきたのです」
これらを踏まえ、デュレスタ社はコンテンポラリーでモダンな「ソーホー」のような新しいシリーズをスタートさせたが、こうしたデザインのソファを作ることは25年前には考えられなかったという。
現在では海外マーケットが全体の3分の1を占め、40~60の国・地域にデュレスタ社の製品を展開。それぞれの環境に応じた多様な快適さが求められている。
「私たちの顧客である富裕層も、以前とは異なり社会環境や住環境への意識が高まっているため、自然環境への配慮も考慮する必要があります。私たちは従業員のスキルを生かした高品質な製品を提供しながらも、多様な顧客の要望にも応えなければならないのです」
こうしたなか日本では長年、大塚家具がデュレスタ社の製品を取り扱う。
「大塚家具は私にとって最初の輸出取引先であり、アジアマーケットの拠点にもなっていて、以来25年間とても良好な関係を維持しています。大塚家具が扱う製品も、以前は伝統的なデザインでしたが現在はよりプレーンなデザインの製品へと移行していると思います。日本には、かつて見せていたようなパワフルな経済活動が感じられないのが気がかりですが、私たちにとっても、この5年間は厳しい時期でした。消費活動も通信販売が大きなマーケットを占め、かつてのようなビジネスモデルと競合するようになったからです。消費者が店舗に足を運び直接製品と接し、店員とのコミュニケーションを通じて選ぶ機会が少なくなってきています」
デュレスタ社は新たなカタログや生地見本帳を完成させたばかり。今後はSNSなどのメディアを通じても情報を発信していくという。
日本への造詣も深いクライブ・K・ブラウン氏。その笑顔の奥には揺るぎない自信が潜んでいた。
※『Nile’s NILE』2020年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています