“いいとこどり”の“桃の木流”

『ミシュランガイド東京』では2008年度版から12年連続で星を獲得する、まさに東京を代表する中国料理店「桃の木」。だが、料理人・小林武志氏はシンプルなザ・職人といったたたずまいを決して崩すことはない。調理場での無駄のない動きにも、飾らない言葉にも、経験に裏づけられた静かな自信がみなぎっている。

Photo Masahiro Goda  Text Rie Nakajima

『ミシュランガイド東京』では2008年度版から12年連続で星を獲得する、まさに東京を代表する中国料理店「桃の木」。だが、料理人・小林武志氏はシンプルなザ・職人といったたたずまいを決して崩すことはない。調理場での無駄のない動きにも、飾らない言葉にも、経験に裏づけられた静かな自信がみなぎっている。

フライフィッシング歴30年以上

愛知県岡崎市の山側で育ったので、周囲に小さな川がたくさんあって、子どもの頃から釣りが大好きでした。細い川の上流のほうまで行って、イワナとか、少し下りてハヤとか、オイカワとか。なんでもよく釣れましたよ。

今でも実家に帰った時には釣りに行っているので、フライフィッシング歴はもう、30年以上になりますね。

しかけも自分で作りますよ。川魚はそこに棲(す)む虫を食べているので、それに合わせて、ハチとか、セミの幼虫っぽいものとか。同じしかけを海で落としても釣れますが、やっぱり川で使いたいですね。

よく、釣りとか、こういう細かいしかけを作るのが趣味と言うと、「無心になれるからですか?」と言われますが、そういうところもあるのかもしれませんね。現実逃避じゃないですけど、確かに料理の時とは違うスイッチが入っています。

御田町 桃の木。釣り道具

でも、東京では釣る気にならないです。東京だと、釣り場の川に行くだけでも朝早く出なきゃいけなくて、どうしても仕事に差し支えるでしょ。

僕の師匠である吉祥寺「知味 竹爐山房(ろくろさんぼう)」の山本豊さんも大の釣り好きなんですけど、その山本さんが昔、早朝にご友人が運転する車で釣りに出かけて、事故に遭われたことがあるんです。

そういうのを目の当たりにしていると、やっぱり、自分の場合は危険を冒してまで出かけて行くより、実家の近くの行きなれた川で、楽しむ釣りがいいですね。それだけ、恵まれた環境で育ったということだと思っています。

映画『二ツ星の料理人』と修業時代

少し前に、『二ツ星の料理人』という映画があったのをご存じですか?
とても面白い映画なのですが、主人公の料理人が、朝も夜もなく働いているのを見ると、自分の修業時代のことを思い出します。

自分も「知味 竹爐山房」での修業時代は、朝の7時から夜は終電ギリギリの12時30分まで、毎日17時間半労働でした。水曜は店の定休日なのですが、僕は水曜も午前中は仕込みをしなければならない。

でも、その後に近くの「北京遊膳」でランチを食べるというのが、当時、唯一の楽しみでしたね。

料理の世界に入ったのは、お茶を嗜(たしな)んでいた母に食事の準備を手伝わされたり、瀬戸の窯元に連れて行かれたりしたことが影響しているのかもしれません。

高校を卒業後、愛知を出たい一心で、大阪の辻調理師専門学校へ。中国料理を選んだのは、田舎の町の中華屋さんとは違う、多彩な中国料理がとても新鮮だったし、おいしかったからです。

就職は銀座の福臨門に決まりかけたのですが、別の人が行くことになり、流れで辻調理師専門学校の職員として働くことに。8年間、熟練の先生たちのそばで中国各地の料理を学んだ講師生活が、僕のベースです。

専門学校の後、大好きでよく食べに行っていた「知味 竹爐山房」の山本さんに誘われて、もううれしくて二つ返事で働き始めました。

ただ、学校では夕方6時には仕事が終わる日々だったのが、店ではそれからが勝負。生活スタイルがガラッと変わった上に、初めての現場にカルチャーショックを受けましたね。料理はもちろん、掃除や片付けにも殺気がみなぎっていて、仕事が丁寧だから時間がかかるのです。

竹爐山房で2年間鍛えられた後、紅虎餃子房で有名な際コーポレーションで2年働いたのですが、そこでまた中島武社長に「修羅場不足」とケチョンケチョンに言われて(笑)。

際コーポレーションでは、いろいろな店を回って指導したりする役割でした。大変でしたが、そこで四川、広東、上海の中国各地の特一級の資格を持つ料理人と仕事をした経験が、僕にとっての修業の仕上げ。

中国は地域によって民族も違うから、考え方も料理のスタイルもまったく違う。日本にいながら、それをリアルに体感できたことが本当に幸運でした。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。