一握入魂

江戸前鮨の世界を追求し、徹底的に細やかな仕事を貫く。そんな仕事ぶりが厚い信頼を集める武蔵弘幸氏が、長年暖簾を掲げた青山の店を閉め、アマン東京の鮨店の開店に親方として参画。山梨で名声を築き、東京に打って出て成功したうえで、変化の中に飛び込んだ武蔵氏。新しい舞台「武蔵 by アマン」でさらなる高みを目指す。

Photo Masahiro Goda  Text Izumi Shibata

江戸前鮨の世界を追求し、徹底的に細やかな仕事を貫く。そんな仕事ぶりが厚い信頼を集める武蔵弘幸氏が、長年暖簾を掲げた青山の店を閉め、アマン東京の鮨店の開店に親方として参画。山梨で名声を築き、東京に打って出て成功したうえで、変化の中に飛び込んだ武蔵氏。新しい舞台「武蔵 by アマン」でさらなる高みを目指す。

武蔵 by アマンのコハダ
鮨職人の腕がもっとも表れるのが、このコハダ。美しく輝くコハダの脂分こそ、扱いを難しくしている。だが、的確な塩加減と酢で締めることで極上のネタになる。最後に煮切りを塗って出す。

ネタには一切の妥協を許さない

18歳で山梨県にある実家の鮨屋に入り、16年。その山梨の店を閉め、東京・青山に店を構えて12年。そして2018年、新たな挑戦に出た武蔵弘幸氏。青山の店をたたみ、この10月、東京・大手町のアマン東京に「武蔵 by アマン」の開店に親方として迎えられたのだ。

「最初に打診があった時、ちょうどよいタイミングだな、と思いました。十数年ごとに新しい環境に挑むのが、自分には合っている」と武蔵氏。「あと、長く一人仕事をしてきましたが、チームで働くのもいいだろう、と思いまして」

職人人生の集大成に向かう時期、アマン東京を選んだわけを聞くと「やはり、“それぞれの土地の文化、伝統を尊重する”というアマンの姿勢に共感したのが大きいですね。東京を代表する食の伝統といえば鮨、とりわけ私が追求している江戸前鮨に対する敬意と熱意を感じたのが、決め手でした」

武蔵氏が鮨の道に入り、キャリアの前半を積んだのは故郷山梨。父親は築地からネタを仕入れ、銀座の高級店にも劣らない上物を使う気骨のある職人だった。また、ネタはショーケースではなく木箱に収めるなど、随所に美意識を反映。父のもとで江戸前の鮨を学び、店を継いでからも探究心を緩めず、地方の一流店として名を成すに至った。

しかし、その立場に満足することなく、東京の一等地で勝負することを決意したのが37歳の時。数店の名店を経て、青山に「鮨 武蔵」をオープンした。自信があるからこそ、自分のスタイルを通す武蔵氏。握る鮨は、山梨の時と何も変えなかった。

ネタには一切の妥協を許さないのも、武蔵氏の信念。自ら毎朝市場に足を運んで上質な魚を買うほか、獲れたての魚を日本各地より空輸で取り寄せる。また、「江戸前鮨は仕込みで決まる」と話す。食材にいかに適切な技術を加えるか、に心血を注ぐ。

たゆまぬ研鑽を自らに課してきた職人のみが達する境地に、武蔵氏はある。凛とした新しい舞台を得て、さらなる高みを、どのように開くのか。武蔵氏の鮨、そして職人魂に惚れ込んだ多くの人が、期待を込めて注目する。

武蔵 by アマン 武蔵弘幸氏

武蔵弘幸
1967年山梨県生まれ。18歳で父親の営む鮨屋に入り、切り盛りする。37歳で東京に出て、青山に「鮨 武蔵」を開業。洗練された江戸前鮨で知られる。2018年10月、アマン東京の鮨店「武蔵 by アマン」の親方となる。

&9679;武蔵 by アマン
東京都千代田区大手町1-5-6
大手町タワー アマン東京34F
TEL 03-5224-3339
www.aman.com/ja-jp/hotels/aman-tokyo/dining/musashi-aman

※『Nile’s NILE』2018年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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