グラスの中に、液体窒素で泡状にしたジャガイモのエスプーマやトリュフを層にして入れた「スパニッシュオムレツ」など、ジャンルを超えた斬新な料理で知られる山田チカラ氏。だが、昭和を静岡で過ごし、平成の始まりとともに「外に出たい」という一心で料理人となった当初は、料理のことなど何も知らず、毎日が驚きの連続だった。
「マヨネーズって卵黄と油なんだ、とか、全てが面白くて料理にのめり込みました。特に驚いたのは、コンソメです。ただの水が、味のついた料理になる。ゼロから1が生まれる瞬間に立ち会ったような感動でした」
1日目に牛スジや鶏ガラ、タマネギ、ニンジン、セロリなどの食材から元となるフォンをとり、2日目に牛肉と卵白を加えて仕上げる。具材のアクを卵白が絡めとって、琥珀色に澄んでいくスープ。フランス語で「完成された」という意味を持つ、コンソメの名にふさわしい料理だ。 「今でもフォンをとるのは好きですね。コンソメとフォン・ド・ボー、鶏肉でとったフォン・ド・ボライユ、そして出汁の四つは必ず店にあります」と山田氏。昭和の時代には、きちんと作ったコンソメスープを最初に出すレストランが確かにあった。山田氏が料理人になった平成初期は、ヨーロッパからヌーベルキュイジーヌを持ち帰った料理人たちが独立し始めた頃である。
「師匠の斎藤元志郎さんについて回りながら、コンソメスープを古いと思うような新進気鋭の料理人だけじゃなく、昭和を象徴する料理人の姿も見られたのは幸運でした。食材でも、昭和にはパルメザンチーズさえありませんでしたが、その中でどう西洋料理を表現するかを考える人たちがいた。そして、高級だったフランス料理が身近なものになり、レストランの種類も数も増えて、外食産業革命といえるくらい花開いたのが平成です」