奥田透
銀座 小十
私が子供だった昭和の時代、最もよく外食したのがデパートの上階にあるレストランです。ハンバーグやオムライスが大好きでよく食べていましたね。実家は父親が郵便局員で子供3人という、いわゆる庶民でしたので、牛肉はごちそうでしたし、すし屋のカウンターも1度しか行った記憶がありません!
平成の幕開けとともに料理の世界に入り、20代を通して京都や大阪の有名な料亭や割烹はすべて食べに行きました。加えて、フランス料理やイタリア料理も好きで、かなり食べました。フランス料理を初めて食べて、赤ワインソースとか、アメリケーヌソースといったソースに感動し、オマール海老やフォアグラ、子羊などの食材のおいしさに驚きました。最初に食べに行ったフランス料理店は石鍋裕シェフの「クイーン・アリス」です。あと地元の「駿河亭」にもよく通いました。
店を持った30代は、外国の料理を食べては日本料理と比べて、おいしさで勝てるのかと問いかけていました。だからこの頃の私の料理は強かったと思います。40歳を過ぎて、和食の良さやおいしさがわかり始めてくると、自分の料理をどう表現すべきかを考えるようになって、日本料理をやっている方々の価値観と自分を比べたくなって。それからは、日本料理や寿司を食べに行くことが多いです。自分の信念と哲学だけを貫いた“独りよがり”な料理を作ってもお客様のためにならないけれど、それが全く料理に見えないのも、作るほうも、食べるほうも面白くないと思い、日々、禅問答しています。
●奥田透
銀座 小十
奥田透さんの想う「令和の味」
時間の流れを皿にうつす