日本と氷の千年物語

江戸時代まで、夏の氷は入手困難で、貴族などの一部しか味わえない超贅沢品だった。宮中で貴重な氷を扱う様子は『枕草子』や『源氏物語』にも残されている。気軽に氷を入手できるようになった今日に至るまで、1000年を超える「日本と氷の物語」をひもといてみよう。

Photo Haruko Amakata  Text Manabu Ito(NIKKEI The STYLE)

江戸時代まで、夏の氷は入手困難で、貴族などの一部しか味わえない超贅沢品だった。宮中で貴重な氷を扱う様子は『枕草子』や『源氏物語』にも残されている。気軽に氷を入手できるようになった今日に至るまで、1000年を超える「日本と氷の物語」をひもといてみよう。

氷

「削り氷に甘葛入れて新しき鋺(まがり)に入れたる」

平安時代の作家で歌人の、清少納言は『枕草子』で「あてなるもの(上品なもの)」として、「削り氷=かき氷」を挙げている。平安時代にはすでにかき氷が食べられていたのだ。

日本の氷の歴史を伝える最古の文献は、奈良時代に成立した日本書紀だ。古代の記録として、奈良の都祁(つげ)という土地に氷を貯蔵する「氷室」があったとの記述が残っている。

これを裏付けるように、奈良時代の貴族、長屋王の屋敷跡で発掘された木簡(木の札)には「都祁氷室(つげひむろ)」という名称と、氷室の規模や氷の厚さなどの記録が書かれていた。冬に池に張った氷を氷室で保存する、天然氷づくりが行われていた証拠だ。

朝廷には、氷を扱う専門の役所も置かれていた。「主水司(もひとり)」と呼ばれる組織が、冬の氷づくりや氷室の管理、宮中の人々への氷の配給を担った。紫式部の『源氏物語』には、宮中の女房たちが氷を割り、額や胸に押し当てて涼む様子が艶やかに描かれている。中宮定子(ちゅうぐうていし)に仕えていた清少納言にも氷の配給があったに違いない。

ところで「削り氷」とは、どんな味だったのか。
『古典がおいしい! 平安時代のスイーツ』(前川佳代・宍戸 香美著、かもがわ出版)によると、ツタの樹液を煮詰めたシロップを再現して氷にかけたところ、「甘さがふんわりひろがり、それなのにさっぱりした後味」だったそう。涼やかで上品な甘さの削り氷は、当時、夏場のご馳走だったのかもしれない。

江戸時代には「加賀の献上氷」が有名だった。雪国である金沢の加賀藩が氷室で保管しておいた雪氷を、毎年旧暦6月1日に江戸の将軍家に飛脚で運ぶ行事で、夏の訪れを告げる風物詩として川柳にも詠まれた。実際は江戸に届くころには小さな雪塊(せっかい)となっていたため、将軍家は口にせず、儀礼的な意味が強かったようだ。

氷が庶民に行き渡るのは、明治維新を待たねばならない。その立役者が実業家の中川嘉兵衛(なかがわ かへえ)だ。当時、日本市場を席巻(せっけん)していた米国からの輸入氷「ボストン氷」に対抗し、国産氷を作ろうと中川は試行錯誤を重ねた。1869(明治2)年、ついに北海道の函館にある五稜郭の堀から切り出した天然氷「函館氷」の商品化に成功した。

『氷の文化史』(田口哲也著、冷凍食品新聞社)によれば、安価な国産氷の登場で氷ブームが起こり、全国で氷の採取・販売業者が急増したとされている。
その後まもなく製氷機による人工氷が台頭し、本格的な製氷時代が幕を開ける。かき氷店や氷売りも登場し、現代に通じるかき氷ブームの下地がつくられたのもこのころだ。

もっとも、家庭用冷蔵庫で手軽に氷が作れる今、個人が氷屋で氷を買う光景は遠い昔となり、全国の氷雪販売施設数は過去15年で半減した。一方、金沢の製氷業者が国産氷を米国輸出し、日本独特の食文化としてかき氷も売り込んでいる。

儚く溶ける氷に膨大な労力と情熱を注いできた日本人。その物語は今も紡がれ続けている。

Tags:
ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。