一緒に食べ、歌い、踊る
海の幸、山の幸をもたらす豊かな自然は、同時に厳しい生活環境でもある。そこでは牧羊や漁業などの共同作業を通じてともに食べ、歌う習慣が生まれ、結び付きの強いコミュニティー文化が育まれ、ソシエダ・ガストロノミカ(バスク語でチョコ)、いわゆる「美食クラブ」の背景となって、バスクの食文化を支えていった。
美食クラブは19世紀後半にサンセバスティアンで始まり、当初は職人たちのギルドや互助会といった性格を持っていた。牧羊や漁業が主体のバスクでは、男性は長期間家を留守にすることが多く、女性が家を守る母系社会であったことも要因とされる。そこで男たちの自己解放の場として社交クラブが次々に生まれたが、突出していたのは「食」を楽しむクラブで、自ら料理を作り、歌い、仲間の絆を深めた。一方、家庭では長い歴史の洗礼を受けながら生き抜いた家庭料理が受け継がれていた。
クラブの目的や性格は異なっていても「男だけ」と「食べる」ことは共通し、加えて「女性禁止」というルールは、謎めいたものを感じさせた。しかし、1920年代に若い世代のクラブが次々に生まれ、また社会環境の変化もあり、休日や祝祭日にゲストとして女性の出席を認めるなどクラブも変化した。現在では無条件で女性が参加でき、あるいは会員になれるクラブもあるという。
「美食のバスク 後編」へ続く