「語り得ぬ領域」で原罪を背負わされた若者たちと「慈愛」

時代を読む-第110回 原田武夫

時代を読む-第110回 原田武夫

私は今年(2022年)の秋という、全人類にとって決定的な瞬間となる時におけるキーワードは「慈愛(compassion)」であると考えている。

慈愛は「自己愛」と対比される愛情である。日常生活では必ずしもなじみがあるとは言えない言葉であるが、そうであるからこそこれからは「慈愛」の時代が到来すると断言しておきたい。「慈愛」とは、結局は自己を対象に対して投影させ、その消失があたかも自らの消失であるかのように大騒ぎするという姿勢=「自己愛」の対極に位置している。慈愛はそれ自体、特定の対象をこの意味で持たない。自己の投影としてではなく、対象となる人物そのものが最善の方向に生き抜くこと、それだけを価値として認め、ひたすら献身的に擁護する姿勢、それが慈愛なのである。一見すると似ているところがあるかもしれないが、慈愛はその大きさ・深さの両面から見て自己愛とは決定的に異なっている。そして今、人類社会全体が「自己愛から慈愛への転換」をあらゆる局面で求められていると言っても過言ではないのである。

それでは我が国において、この転換はどういった局面で見られるべきものなのであろうか。私はこの点について去る7月より一つのテーゼを提示させていただいている。すなわち「語り得ぬ領域」をも包含する社会が我が国においていよいよ実現すること、これが「慈愛」の極致であると提唱しているのである。本稿ではこのことについて少し敷衍(ふえん)させていただければと思う。

我が国において、「語り得ぬ領域」とは一体何なのか?— 端的に言うと、これまで我が国社会において徹底して蔑まれ、差別され、それがゆえに中では強固に団結し、時に激しい暴力性まで帯びる発展を見せてきた部分社会のことである。我が国ではこうした「語り得ぬ領域」が複数存在している。しかし、そこに生きる者たちは決して自らがその構成員であると名乗ることは表向きなく、ましてやその子供たちはというと、そうした難題を生得的に抱えているということすら認識をしないまま育ち、やがて大人になるにつれて事の重大さを知るに至るといった悲劇的な人生を送るようになっているのだ。「普通の生活」を送っている大半の読者の皆さんにとっては全くもって理解不能なことかもしれない。しかしこれが我が国社会における冷厳な現実なのである。これは決してごまかすことができない真実である。

無論、自らの意思でこうした「語り得ぬ領域」を安住の地として決め込み、生き抜こうと覚悟している者は、それはそれで良いのかもしれない。しかし、そうではなくて、先程述べたような形で、いわば「生まれながらにして原罪を負っている」かのような人生を強いられている者たちが果たしてそれで良いのかというと、決してそうではあるまいと思う私がいるのだ。

そして現実にはどうかというと、こうした者たちを我が国社会は包容するどころか、徹底して排除してきている。特に「平成バブル不況」が「失われた30年」と呼ばれるようになる中で明らかに我が国に余裕はなくなってきており、こうした部分社会に暮らし、徹底抵抗しようとする者たちを完全に鎮圧し、殲滅(せんめつ)せんとしてきている。果たしてそれで良いのか、という議論が明確になされることなく、である。

だからこそ今、「慈愛」が必要なのだと私は強く思って仕方がないのである。これまでの歴史の中でこれら部分社会に暮らす者たちは老若男女を問わず、極めて用心深くなっている。その「信頼」を得ることは容易ではないはずだ。しかしだからこそ「慈愛」が決め手となってくる。「排除」ではなく「包摂」、「殲滅」ではなく「しかるべき居場所へと導くこと」。これこそが「慈愛」の施策なのであるが、これを語る者たちが我が国政治の現場には誰もいない。

これから我が国を訪れる「日本バブル」、そして「日本デフォルト」という激しい社会変動を前に今、真っ先に動き始めているのがこうした「語り得ぬ領域」の者たちである。失地回復とばかりに勇猛に動きだすこれら部分社会の住人たちは、そのまま突っ込むとこうした大規模な社会変動の底流を流れる摂理から大変なしっぺ返しを受け、壮絶な事態が起きかねない。生まれながらに原罪を背負わされている子供・若者たちとて同じなのだ。そうした彼・彼女らを全身全霊で受け止め、全く新しい次元へと誘うこと。「慈愛」が占めるべき時代は、もうすぐそこから始まっている。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

ラグジュアリーとは何か?

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