「ウィキリークス」なき後の世界

時代を読む 第75回 原田武夫

時代を読む 第75回 原田武夫

ウィキリークス

もはや誰も語らなくなってしまったが、筆者個人はどうしても忘れられない出来事が最近一つあった。情報公開サイト「ウィキリークス」のリーダーとして知られているジュリアン・アサンジがロンドンにあるエクアドル大使館で英当局によって逮捕されたのである(4月11日)。

「それがなぜ重要なのか」 そう思われるかもしれない。だが、この依然として全体像をつかむことが難しい情報公開サイトこそ、2006年以降の「これまでの時代」を創ってきた張本人なのであり、同時にそうした「これまでの時代」が終わるのであれば、この世から去るべき存在でもあるのである。

筆者は今でも思い出す。2006年晩秋のことだ。米国の中でもいわば「奥の院」とでもいうべき、表向きは絶対に出てこないものの、そのうち奥において取り仕切っているリーダーシップの一翼を担うファミリーの係累にあたる人物から、こんなメッセージを受け取ったのである。

「詳細を言うことができないが、とにかくこれからとてつもないことが起きる。それによって世界は一斉に変わっていく。気をつけよ」

こう言われた私は正直、面食らったことを告白しておきたい。何を言っているのか全く分からなかったのだ。しかし程なくして私はこの、米国の中核であるユダヤ勢、とりわけその中でもコア中のコアであるセファラディの一族であるこの人物から伝えられた極秘メッセージの持つ意味を、突如として立ち現れた現実の中で、まざまざと思い知ることになる。それが「ウィキリークス」の登場に他ならないのである。

筆者にとって衝撃だったのは、とりわけ情報公開サイト「ウィキリークス」が、これまで極秘とされてきた米国務省公電のデータを大量に公開したことだった。当然、我が国との間における極秘のやりとりも、その中には多数盛り込まれていた。2011年に発生したこの「事件」を私は取り急ぎ分析し、一冊の書籍にして警鐘を打ち鳴らしたことを今でも懐かしく思い出す(『アメリカ秘密公電漏洩事件 ウィキリークスという対日最終戦争』講談社刊)。

だが今思い起こすと、そうした形で「ウィキリークス」がリークし続けた大量のデータに意味があるというよりも、その存在そのものが、今を生き、また近未来に向けて生き続けなければならない私たち全員に対する深いメッセージであったのだ。極秘情報のリークという意味でジュリアン・アサンジは結局のところハッカー、すなわち当局から見れば部外者であり、アウトサイダーに過ぎない。その意味では、インサイダーであり、米国家安全保障局(NSA)にすら勤務した経験を持ちながら、大量の極秘データをリークしたエドワード・スノーデンによって「ウィキリークス」は凌駕 されてしまったというべきなのである。 

しかし、よくよく考えてみると2006年のその発足時、そして2011年の米外交公電の大量リークをピークとした動きは、要するに今の時代が「解きの時代」であることを象徴していた。既存の構造は全て解かれるのであって、仮にこれに抵抗するのであれば、容赦なく他者の目に極秘情報がさらされるという意味での「新しいルール」を提示してきたのが「ウィキリークス」なのである。 これに対して、時代が「解き」ではなく、新たに「結び」に入り、これまでとは全く異なる構造を創り始めるべき時を迎える中では、むしろこうした「解きの象徴」は無用の長物になる。つまり、そういうことなのだ。

哀れなジュリアン・アサンジは当局を罵倒しながら連行された。その姿をもはや熱心に追うメディアはない。しかし、そうであるからこそ、特定個人としてのジュリアン・アサンジを超えた「ウィキリークス」という存在そのものがメタの次元で示していた「解きの時代」の終わりが今、気になって仕方がないのである。なぜならば、そこにこそ、秘められたグローバル・リーダーたちの手による、本当の「アジェンダ」が見え隠れするからだ。人知れず、一つの時代は終わったのである。ここから先は、「全てが明らかにならない」「インターネットが制限され、やがては禁止される」時代にすらなるのかもしれない。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています

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