いわゆる国際金融資本という存在をグローバルマーケットにおいて忘れることができない。平たい言葉で表現すると「金貸し中の金貸し」であり、かの中央銀行の株式を大量保有していたりする。「……家」と一般的に呼ばれているが、名前を聞くとたいていの方々ならば「どこかで聞いたことがある」と言われるような存在だ。
貧乏な金貸し、というのは語義矛盾のように聞こえてしまう。金貸しはいつも「裕福な金貸し」とみなされているのであって、国際金融資本もたいていの場合「大金持ち」とみなされている。そして不思議なことに世界中で行われている「悪事という悪事」に深く関わっていると批判されてもいるのだ。その結果、国際金融資本は陰謀論者の格好のテーマとなってきているのである。
しかし、私はどうもこうした単純な発想を肯ずることができない。なぜならば近代以降の歴史を振り返る限り、この意味での国際金融資本を担うファミリー自身は「大金持ち」であるのと同時に、陰では「反権力の闘士たち」として知られる人物やその組織・集団に多大な支援をしていたことでも知られているからだ。
具体的に言うと「共産主義者」であり、また「共産国家」なのであるが、貧者の味方であるそうした存在を支えていたのが何を隠そう国際金融資本であったというのが歴史上の事実でもあるのだ(かのスターリンが「ロスチャイルド様」と崇あがめていたのは有名なエピソードだ)。
前置きが大変長くなったが、いよいよ始まりつつある「コロナ後の世界」において必要なのがこうした史実に範をとった形での全く新しい戦略なのではないかと、私は最近しばしば思うようになっている。
それでは一体どのような戦略なのかといえば、端的に言うと二つの要素を含む戦略なのだと思う。一つはとにかく我が国社会の末端にまで染みわたるようなマネーの流れを構築すること。そしてもう一つが、波及効果が大きく、それによって出来上がるさまざまな製品が輝かしい未来に関する想像をかきたててくれるような技術革新である。
実はこの二つがしっかりと組み立てられていたのが我が国における「平成バブル」なのであった。あの頃、街角にはたくさんの「サラ金」による現金自動支払機が置かれていた。そして夜中であっても無担保で大量の現金を借りることができたのである。無論、その後「サラ金」は大変な社会問題となり、我が国社会から抹殺された。
しかし特に「バブル経済を実現させるため、社会の末端の末端までマネーを行き渡らせる」という効果はそれによってもたらされたのである。今、コンビニにATMこそあるが、何かが違う。だからどうもうまく行かないのである。
技術についてもそうだ。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われさまざまな夢のような技術が喧けん伝でんされ、その製品ないし試作機がお披露目され続けていた。電子手帳やポケベル、さらには最新鋭の自動車は「消費者の勝利」を物語っており、誰もその時代が終わるとはにわかには信じられなかった。なぜならば我が国には「無限の技術力」があると信じられていたからである。
「平成バブル崩壊」と共にこれらはいずれも忽然と我が国から姿を消したわけだが、冷静に当時を振り返ると明らかに何か「大戦略」とでもいうべきものが感じられてならないのである。そしてマネーの世界であれ、技術の分野であれ、最終的には国際金融資本のコントロール下にあることを思い起こす時、その「大戦略」を思い描き、企画立案し、さらにはそれを執行した主はこの国際金融資本をも説得し、あるいはその本音を引き出し、協力を取り付ける剛腕なタフネゴシエーターであったに違いないのである。何せ、実は「左翼」である国際金融資本の本音をうまくくすぐる形で我が国の市民全体にカネを行き渡らせる仕組みをつくることに成功したからである。
この重大事を成し遂げられるのは政治家ではない。もっともっと「ランクが上」の御仁たちだ。
そして、「平成バブル」とその後を振り返るべしとの声が強まっている今だからこそ、その見えない陰をも今こそ探究すべきなのではないか。
私たち日本人はその意味で時に驚くべき「歴史の真実」を目の前にしても動じない胆力を問われている。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています