伏見の水のルーツを求めて、町の総鎮守として古くから親しまれている御ご香宮(こうのみや)神社を訪れた。名前の由来となったのが、平安時代、香りの良い水が湧き出し、病人に飲ませたところ快癒したという伝承を持つ清泉、石井(いわい)の御香水。民間の信仰を集めたこの水は、明治以降かれていたが、昭和57(1982)年に復元し、京の名水で唯一「名水百選」に認定された。御香宮神社では、1月に若水神事、4月に御献茶祭を営み、神聖なる水の神をたたえている。伏見の水の特徴は、きめ細かく、とろりと甘い超軟水であること。杜氏(とうじ)たちはこの水を敬い、数百年にわたって磨き上げ、伝えられた技術を凝縮させ、極上の酒を生み出している。水を知ることで、伏見の酒の豊かな味わいの中に、人々の思いと酒造りの長い歴史が感じられる。
伏見に限らず、人々に富や幸いをもたらす水は、古くから信仰の対象とされてきた。京都市西京区にある松尾大社は、京都でも最古級の神社であり、全国的に知られる「酒造の神様」。境内から湧き出る亀の井の水は、延命長寿・よみがえりの水として、また「酒を醸造する際に加えると腐らない」奇跡の水として、醸造家の信仰を集めた。そばには清流がほとばしる霊亀の滝があり、いかにも霊験あらたかな風情を醸し出している。一方、京都御所の東側にたたずむ梨木(なしのき)神社には、京都三名水の一つに数えられる染井の井戸があり、そのまろやかな味わいは茶の湯に適すと言われている。このほか、鞍馬(くらま)の貴船(きふね)神社や東山区の祇園白川など、京都の“水の名所”は枚挙にいとまがない。
近年は昔ながらの「清らかでおいしい地下水」がさまざまな化学物質にさらされて危機に直面しているものの、京の町には今なお「名水」とされる湧き水や井戸水が多数点在する。神社や酒蔵だけではなく、豆腐などの商いの店や茶道の家元、友禅や西陣の染物屋、さらには一般の家庭でも、いまだ井戸が現役だ。“井戸巡り”をしていると、京の人々がいかに、水を愛し、敬ってきたか、その思いが伝わってくる酒造りをはじめ、数々の伝統文化を生み出した水は、京都の人々の心を支え、景観を形作る重要な要素となっている。名水がもたらす風情や精神性は、京都の美意識の中核とも言えるだろう。水なくして、京都にあらず。京都と水の深い関係を、改めて感じる旅だった。
※『Nile’sNILE』2025年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

