井戸という迷宮
水に宿る古都の記憶

京都は、その地下に巨大な水がめを持つ水の都である。きめ細かくやわらかな、豊かな水があってこそ、全国に名だたる酒や、料理に茶の湯、染め物など、多くの京文化が花開いた。人々に富と幸いをもたらし、この町に特有の美意識をも生み出した、京の水と酒の関係性をたどる。

Photo Satoru Seki  Text Rie Nakajima

京都は、その地下に巨大な水がめを持つ水の都である。きめ細かくやわらかな、豊かな水があってこそ、全国に名だたる酒や、料理に茶の湯、染め物など、多くの京文化が花開いた。人々に富と幸いをもたらし、この町に特有の美意識をも生み出した、京の水と酒の関係性をたどる。

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    (左):菅原道真公の生まれ変わりと崇められた三條実萬公と、その息子で明治維新の原動力となった実
    美公の二柱の神様をお祀りする梨木神社。境内には京都三名水の一つとされる染井の井戸がある。
    (右):日本第一安産守護之大神として広く崇められている御香宮神社。神功皇后を主祭神として、仲哀天皇、応神天皇ほか六柱の神を祀る。この境内から「香」のよい水が湧き出たため、清和天皇から「御香宮」の名を賜った。
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    (左):大徳寺は名水どころとしても知られ、茶の湯と縁深い寺。江戸時代初期には、千利休の弟子であり、建築家の小堀遠州が自らの菩提寺として孤篷庵を造営。吊り障子が特徴的な書院風茶室「忘筌」を設えた。
    (右):御香宮神社境内には、その御香水が今もなお湧き出ている。伏見七名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直がこの水を産湯として使ったという将軍家ゆかりの水でもある。今日も多くの人が水をくみに訪れる、まさに京の生活に根付いている井戸だ。
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    上賀茂神社に仕えてきた神官の屋敷が立ち並ぶ社家町。屋敷の前には上賀茂神社の境内から流れる清流・明神川が流れ、落ち着いた雰囲気を漂わせる。国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定された貴重な景観である。
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伏見の水のルーツを求めて、町の総鎮守として古くから親しまれている御ご香宮(こうのみや)神社を訪れた。名前の由来となったのが、平安時代、香りの良い水が湧き出し、病人に飲ませたところ快癒したという伝承を持つ清泉、石井(いわい)の御香水。民間の信仰を集めたこの水は、明治以降かれていたが、昭和57(1982)年に復元し、京の名水で唯一「名水百選」に認定された。御香宮神社では、1月に若水神事、4月に御献茶祭を営み、神聖なる水の神をたたえている。伏見の水の特徴は、きめ細かく、とろりと甘い超軟水であること。杜氏(とうじ)たちはこの水を敬い、数百年にわたって磨き上げ、伝えられた技術を凝縮させ、極上の酒を生み出している。水を知ることで、伏見の酒の豊かな味わいの中に、人々の思いと酒造りの長い歴史が感じられる。

伏見に限らず、人々に富や幸いをもたらす水は、古くから信仰の対象とされてきた。京都市西京区にある松尾大社は、京都でも最古級の神社であり、全国的に知られる「酒造の神様」。境内から湧き出る亀の井の水は、延命長寿・よみがえりの水として、また「酒を醸造する際に加えると腐らない」奇跡の水として、醸造家の信仰を集めた。そばには清流がほとばしる霊亀の滝があり、いかにも霊験あらたかな風情を醸し出している。一方、京都御所の東側にたたずむ梨木(なしのき)神社には、京都三名水の一つに数えられる染井の井戸があり、そのまろやかな味わいは茶の湯に適すと言われている。このほか、鞍馬(くらま)の貴船(きふね)神社や東山区の祇園白川など、京都の“水の名所”は枚挙にいとまがない。

近年は昔ながらの「清らかでおいしい地下水」がさまざまな化学物質にさらされて危機に直面しているものの、京の町には今なお「名水」とされる湧き水や井戸水が多数点在する。神社や酒蔵だけではなく、豆腐などの商いの店や茶道の家元、友禅や西陣の染物屋、さらには一般の家庭でも、いまだ井戸が現役だ。“井戸巡り”をしていると、京の人々がいかに、水を愛し、敬ってきたか、その思いが伝わってくる酒造りをはじめ、数々の伝統文化を生み出した水は、京都の人々の心を支え、景観を形作る重要な要素となっている。名水がもたらす風情や精神性は、京都の美意識の中核とも言えるだろう。水なくして、京都にあらず。京都と水の深い関係を、改めて感じる旅だった。

※『Nile’sNILE』2025年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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