井戸という迷宮
水に宿る古都の記憶

京都は、その地下に巨大な水がめを持つ水の都である。きめ細かくやわらかな、豊かな水があってこそ、全国に名だたる酒や、料理に茶の湯、染め物など、多くの京文化が花開いた。人々に富と幸いをもたらし、この町に特有の美意識をも生み出した、京の水と酒の関係性をたどる。

Photo Satoru Seki  Text Rie Nakajima

京都は、その地下に巨大な水がめを持つ水の都である。きめ細かくやわらかな、豊かな水があってこそ、全国に名だたる酒や、料理に茶の湯、染め物など、多くの京文化が花開いた。人々に富と幸いをもたらし、この町に特有の美意識をも生み出した、京の水と酒の関係性をたどる。

(左):京都御苑の東にある梨木神社。その境内の手水舎にある染井は、佐女牛井(さめがい)、縣井(あがたい)に並ぶ京都三名水の一つ。今もかれることなく、甘くまろやかな清水がこんこんと湧き出ている。
(中):「松尾さん」の名で親しまれる松尾大社境内にある亀の井の水は、「酒を醸造する際に加えると腐らない」ことから、醸造家の信仰を集めた。一般には、茶道・書道の用水として、また家庭用水として愛用される。
(右):八坂神社の御手洗井は、普段は鍵がかかった木の柵の中に鎮座し、祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(7月24日)の間だけ開放される。「八坂神社の本殿下の井戸とつながっている」という伝説もあるとか。

京都三山に囲まれて、山々からの豊かな伏流水に恵まれた水の都・京都。その地下には、岩盤までの最深部が約800mの巨大な水がめがあり、かれることのない伏流水の水量は琵琶湖の8割にも上るというから驚かされる。やわらかく清らかな軟水は生活に欠かせないだけでなく、繊細な味付けが魅力の京料理や和菓子、豆腐に湯葉、茶道や染め物など、良質な水に支えられて花開いた、多彩な文化を生み出してきた。京野菜の生産者も、京料理の名店でも、違いは何だと尋ねたら、「そら、水やろなぁ」と言うくらい、水の違いが、すべての源となっている。

伏見の酒造りも、水に支えられた京文化の一つだ。同じく酒の名所として知られる兵庫・灘の酒が、硬水でつくるキレのある「男酒」と呼ばれるのに対し、伏見の酒は、やさしくまろやかな「女酒」。冷やしても燗(かん)にしてもおいしく、主役としても、料理の味わいを引き立てる食中酒としても光る味わいを持ち、その飲みやすさや柔軟性から近年、さらに評価が高まっている。

今も白壁の土蔵造りの酒蔵が点在する伏見を訪れると、町全体に、ほのかに甘い酒の香が漂っている。ここ伏見は、かつて巨椋(おぐら)池という京都最大の淡水湖を有し、さらに「伏水」とも書かれたように、京の良質な伏流水に恵まれた場所。酒造りのはじまりは弥生時代にさかのぼる。安土・桃山時代には豊臣秀吉の伏見城の城下町として栄えるとともに、酒造りが発展した歴史を持つ。のちの江戸時代に水運の父、角倉了以(すみのくらりょうい)が高瀬川運河を掘削すると、京都や大坂への水陸交通の要衝となり、宿場町や港町としても栄えた。港の中心、現在の京橋付近に軒を連ねたのが、かの寺田屋をはじめとする大小39の旅籠(はたご)である。この頃には酒造家が急増し、酒どころの基盤がつくられた。かつての伏見港周辺、宇治川流域と濠川(ほりかわ)沿いは、柳並木の気持ちの良い散策路だ。現在は江戸から明治にかけて水運に使われた十石舟が復活運航しており、当時の面影を感じながらそぞろ歩きが楽しめる。

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    (左):キンシ正宗の堀野記念館の中庭にある桃の井。キンシ正宗が造り酒屋を始めた1781年以来、湧き出ている名水で、淡麗な切れ味の酒を生み出す。染井の水と水脈を同じくするこの水は、御所近くにありながら、毎時3トンの豊かな水量と、清涼な水質を保ち続けている。
    (中):錦天満宮や錦小路あたりの井戸から湧き出るまろやかな錦の銘水。地下30数mからくみ上げられる水は、真夏でも17〜18度に保たれている。写真は錦小路のすぐそばにあるマ ンションのエントランス脇に湧き出る井泉。
    (右):豊臣秀吉が茶の湯に愛用したと伝えられる豊園水。もともとは秀吉の別邸・龍臥城の庭園内にあったが、かれ井戸になってしまったため、洛央小学校に復元された。ポンプでくみ 上げた水の中を魚たちが泳いでいる。
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    (左):月桂冠大倉記念館内にあるこの井戸は、伏見の名水の一つ。地下約50mから湧き出る「さかみづ」は、月桂冠の仕込み水としても使われている。「さかみづ」の名は「栄え水」とともに古くは酒の異名だったという。
    (右):創業1637年。伏見を発祥の地とする月桂冠の大倉記念館では、貴重な資料や酒造用具を展示。昨年2月には、エントランス、試飲コーナー、ブランドショップなどを新装し、リニューアルオープンした。
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    (左):伏見の町には、江戸期から今日に至る時代の建物が集まっている。数々の史跡が残された風情ある街並みからは、酒造りの町、水運の町、街道の町として栄えた歴史や文化を感じることができる。
    (右):豊臣秀吉が築いた城下町として栄えた伏見は、京都と大坂の中継地としてもにぎわいを見せた。大坂から三十石船に乗って伏見に着いた旅人は、ここから陸路を行く。濠川には現在、観光船の十石船が運航している。
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ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「Nileport」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。