
竹原は、古くから瀬戸内の交通の要衝として発展した海沿いの町だ。特に江戸時代初期からは「塩の町」として全国にその名を知られた存在である。日照時間が長く、降雨量が少ない竹原は製塩に適し、潮の満ち引きを利用して瀬戸内の海水を運ぶ入浜式の塩づくりを、310年にわたり町の主要産業として発展させた。つくられた塩は当時、大阪から北海道を日本海回りで往復していた商船・北前船で遠く新潟や青森まで運ばれた。竹原の塩を積んだ船が着くことが「竹原が来た」、その塩を買うことが「竹原を買う」と呼ばれるほど、各地で竹原の塩が待ち望まれていた。
町の商人たちは塩田を経営して財を成し、豪奢(ごうしゃ)な家を建て、それぞれに縦格子の中に横格子を加えたり、切り絵のような羽目板を飾ったりした、「竹原格子」と呼ばれる格子窓で粋を競った。こうして芸術的に高められた町並みが、重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並み保存地区として、現在の竹原の観光名所となっている。今も地元の人々が暮らし、酒蔵や飲食店などを営む生活の場所だ。