長崎喜遊曲 豊饒と冒険と
近代日本、その栄華の「証言者」 軍艦島

鎖国時代にあっても、海外に向かって開かれていた長崎。異国の文化や人、モノに日常的に触れる中で、町も人々もごく自然に、国という枠に縛られない自由で先進的な気質を獲得した。安政の開国を境に、より国際色が豊かになった長崎には、だから新しい時代を創ろうとする急先鋒が集結し、跳梁跋扈の活躍をした。資本主義の勃興――それは、長崎で起こるべくして起こったのである。

Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba

鎖国時代にあっても、海外に向かって開かれていた長崎。異国の文化や人、モノに日常的に触れる中で、町も人々もごく自然に、国という枠に縛られない自由で先進的な気質を獲得した。安政の開国を境に、より国際色が豊かになった長崎には、だから新しい時代を創ろうとする急先鋒が集結し、跳梁跋扈の活躍をした。資本主義の勃興――それは、長崎で起こるべくして起こったのである。

端島は南西から見た時の島影が、戦艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」の異名を取る。端島砿の閉山後は上陸が禁止されていたが、2009(平成21)年に解禁となった。

野母半島の西方、長崎港から18㎞余りの海上に浮かぶ小さな島。その姿形から「軍艦島」と呼ばれるここ端島は、明治時代の半ばに岩礁の無人島から海底炭鉱の島へと転身。日本の産業近代化を象徴する拠点として栄華を極めた。

エネルギーが石炭から石油に代わったことで、1974(昭和49)年に閉山し、無人島に回帰して約40年、風化が進む中で、軍艦島は今なおかつての栄華の残照を放っている。

軍艦島はその昔、自然の岩礁だった。面積は現在の3分の1の約2ha。炭鉱事業の発展拡大に呼応するように明治から昭和にかけて計6回にわたる埋め立て工事が行われた。

「雨の後は風がきて、海が荒れよる。上陸はできそうやけど、ゆっくりしてられんよ。帰れんようになるから」あいにくの雨。野母町の串之港から軍艦島に向かう私たちに、漁船・ゑびす丸を操る馬場広徳船長のちょっと怖い言葉が飛んだ。

海を突き進むこと約20分。島影が大きくなるにつれて軍艦のような輪郭に、かつての高層ビル群がくっきりと浮かび上がってくる。1960年代に5000人を超える住民が暮らし、東京都の約9倍の人口密度だったという過密都市の「廃墟」の様相には息をのむばかりだ。

こんな小さな島に、よくぞこれだけの建物が密集する近代都市を構築したものだ。明治・大正・昭和と三つの時代に繁栄を謳歌したここが、国家のエネルギー供給地として産業近代化をリードする存在であったことを実感する。

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    外洋に浮かぶ軍艦島にとって台風は避けられない“天敵”だ。度重なる台風の襲来で、護岸の決壊や建物の崩壊などの被害を受けた。
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端島で石炭が発見されたのは今から200年前の1810(文化7)年のこと。当初は漁民が漁業の傍ら「磯掘り」と称して採炭を行っていた。その後1869(明治2)年に長崎の富商が結成した六海商社が官許を得て採炭事業を始動させたが、わずか1年で廃業し、経営権は佐賀藩の藩主・鍋島孫三郎に移行した。

一方で佐賀藩は幕末期より端島の数km北にある高島で炭鉱業に着手し、英国商人トーマス・グラバーとの合弁で開発を進めていた。しかしグラバー商会の破綻や明治政府による外資排除の逆風を受け、1874(明治7)年には経営権が後藤象二郎に払い下げられた。

以後、紆余曲折を経て三菱との買収契約が成立したのは1881(明治14)年。後藤による炭鉱経営が破産寸前に追い込まれたのを見かねた福沢諭吉が、買収に消極的だった岩崎彌太郎を口説き落としたという。

三菱は鉱山経験者を高島に集め、外国人を招聘して技術陣を強化した。竪坑と水平坑を次々と開削し、第2代社長・彌之助の時代には高島は炭質・出炭量において他を圧する有力な炭鉱に成長した。1884(明治17)年には中ノ島、二子島、伊王島、沖ノ島を獲得し、1890(明治23)年には端島を買収。海底に約21万坪の大炭田が眠る端島の発展の端緒が開かれた。

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    日本最古の高層アパート30号棟を始め、鉄筋コンクリート造のアパートが学校や病院を含め30棟余り林立する。
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    この辺りは、かつての貯炭場。ベルトコンベアーに載せて、石炭運搬船に積み込む。
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    海から見た高層アパート群は今や、産業近代化に挑んだ者たちの夢の跡だ。
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    かつての病院の手術室。無影灯の残骸がその証しである。
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軍艦島に上陸した私たちは、長崎市役所・文化観光部の大西淳哉さんの案内でゴーストタウンに踏み入った。通常は見学通路に沿ったごく限られた場所しか立ち入れないが、今回はその限りではない。通路の柵をまたぎ敷地に入り、島内を建物から建物へ右回りに一周するコースである。

地面ががれきと化した道なき道を歩き、貯炭場のあった場所に出た。海底炭鉱の端島砿は炭層が島の真下にあるため竪坑方式が採用された。ここには石炭を坑内から地上に送る巻き揚げ機の櫓と、精炭を選炭場から貯炭場まで運ぶ際に使われたベルトコンベヤーの支柱だけが残る。

さらに東へ向かうと端島小中学校の7階建て校舎に行き着く。ボタで埋め立てられたグラウンドや広い体育館、島唯一のエレベーターを備えた給食室などがあり、子どもたちがはしゃぎ回っていたであろう往時がしのばれる。

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    高層アパート群は日給制で働く鉱員の住まい。「日給社宅」と呼ばれた。
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    島を去る時に置き去りにされた家具や日用品が随所に残り、当時の正活臭を漂わせる。
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    高層アパートは上階へ行くほどベランダが内側に造られており、採光の工夫がなされている。
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    アパートの廊下は木片やガラスの破片で埋め尽くされている。
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鉱員・職員と家族のアパート群は島の南西に広がる。印象的だったのは日本最古の高層RC造の30号棟で、建物中央部が吹き抜けになり、その周囲を階段と廊下が取り囲む斬新な設計だった。また317戸を擁する65号棟は、中庭に子供遊園地、屋上に保育所が設置され、「人に優しい設計」が施されていたとされる。

このほか、1階に碁会所や主婦会室など公共施設が入り、会社経営の厚生食堂やビリヤード場、個人商店、ショットバーなどを備えた日給社宅もある。

島には近代的な病院や映画館などの娯楽施設もあり、生活は島内だけで完結した。炭鉱景気に沸いた時代、暮らしは豊かだったようだ。「昔は母ちゃんたちが畑で作ったものを軍艦島に売りに行ったもんよ。島はこっちの5倍、豊かだったね」とは馬場船長の言葉である。

2時間弱で島を回り終えて感じたのは、ここが近代産業史・近代建築史における最先端の都会だったということだ。いまは「朽ちるに任せる」しかないのが現状ながら、貴重な「栄華の証言者」である。近代化の流れを知る産業遺構として、また環境破壊という過去の記憶を未来につなぐ原資として、少しでも命が長らえることを願う。

※『Nile’s NILE』2013年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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