金沢・主計町、万古の灯

大人の社交場として200年来栄えてきた金沢・茶屋街。“令和の旦那衆”が夜ごと繰り出し、芸妓たちの歌舞に酔う。今宵は、浅野川左岸沿いの「主計町茶屋街」へ。花街の風情漂う小路や坂道をぶらり文学散歩する、その先で、仲乃家の女将と芸妓たちが迎えてくれる。

Photo Masahiro Goda  Text Junko Chiba

大人の社交場として200年来栄えてきた金沢・茶屋街。“令和の旦那衆”が夜ごと繰り出し、芸妓たちの歌舞に酔う。今宵は、浅野川左岸沿いの「主計町茶屋街」へ。花街の風情漂う小路や坂道をぶらり文学散歩する、その先で、仲乃家の女将と芸妓たちが迎えてくれる。

泉鏡花は、父が加賀象嵌(ぞうがん)の名工、母は江戸生まれで、加賀藩お抱えの能楽師の娘
泉鏡花は、父が加賀象嵌(ぞうがん)の名工、母は江戸生まれで、加賀藩お抱えの能楽師の娘。“加賀文化の遺伝子”のなせる業か、生涯300編余りの小説・戯曲を残した。

作家と主計町

「我が居たる町は、一筋細長く東より西に爪先上りの小路なり。両側に見好げなる仕舞家のみぞ並びける」

主計町で生まれ育った作家、泉鏡花は、小説『照葉狂言』の中で、町の情景をこんなふうに描写している。

簡潔にして妙。「鏡花のみち」と名付けられた浅野川沿いに茶屋や旅館、料理屋など、紅柄格子の家並みが続き、ちょいと裏に入ると、細い路地が錯綜する。鏡花の名に幻惑されるのか、奥へ奥へと迷い込むほどに“夜の町&rdquo特有の艶っぽく霊妙な気に魅入られていくようだ。

金沢、久保市乙剣宮
ここ久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)の境内を抜けて「暗がり坂」を下りると、主計町茶屋街へと通じる。幼少期の鏡花の遊び場でもあったここには、「うつくしや鶯あけの明星に」の句が刻まれた碑が立つ。

中でも茶屋街風情を感じるのが、「暗がり坂」と「あかり坂」である。

「暗がり坂」はその名の通り、日中でも日の当たらない薄暗い石段の坂道。その昔、旦那衆は遊郭に遊びに行く時、人目を避けるようにこの坂を下ったとか。鏡花にとっては、小学校への“通学路”だったが。

一方、「あかり坂」は2008年、作家の五木寛之氏が、地元住民の依頼を受けて名付けたという。タイトルも『主計町あかり坂』(後に『金沢あかり坂』に改題)という小説に、“命名場面”が描かれている。泉鏡花の研究家で詩人でもある高橋冬二郎という80歳近い銀髪の老人に、こう言わせている。

「暗、と、明。泉鏡花にはあけの明星をよんだ句があります。そこで、あかり坂。よし、これできまった」と。花街というのは小説や演劇など、文学の舞台と非常に相性がいい。男女の愛憎劇により強烈な熱情や、切なくはかない情愛がなど描かれ、作品世界に深みが出るのだ。

それで思い出したが、手嶋龍一氏の小説『スギハラ・ダラー』に、金沢の芸妓が登場していた。主人公の英国秘密情報部員スティーブン・ブラッドレーが金沢の茶屋にすっと入り込み、美しい芸妓たちにたちまち受け入れてもらう、という設定だ。『ウルトラ・ダラー』ではスティーブンを新橋のお座敷に入り込ませた手嶋氏によると、「料亭の女将がすべてを取り仕切り、客の機密を決して漏らさない、というのはインテリジェンス・ワールドそのもの。女将の口の堅さは、かつての特捜検事と双璧」だという。

そういう意味では、お茶屋の女将や芸妓たちが演じるのは歌舞音曲に限らない。現代小説では、ひと味違う面白さが期待できそうだ。

金沢、眼下に中の橋。両端に階段。擬宝珠(ぎぼし)の付いた木造の欄干、桁隠しもある、伝統的な様式
眼下に中の橋。両端に階段。擬宝珠(ぎぼし)の付いた木造の欄干、桁隠しもある、伝統的な様式だ。周囲の景観にしっくり溶け込んでいる。泉鏡花はこの橋を舞台に『化鳥』『照葉狂言』を書いた。
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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。