作家と主計町
「我が居たる町は、一筋細長く東より西に爪先上りの小路なり。両側に見好げなる仕舞家のみぞ並びける」
主計町で生まれ育った作家、泉鏡花は、小説『照葉狂言』の中で、町の情景をこんなふうに描写している。
簡潔にして妙。「鏡花のみち」と名付けられた浅野川沿いに茶屋や旅館、料理屋など、紅柄格子の家並みが続き、ちょいと裏に入ると、細い路地が錯綜する。鏡花の名に幻惑されるのか、奥へ奥へと迷い込むほどに“夜の町&rdquo特有の艶っぽく霊妙な気に魅入られていくようだ。
中でも茶屋街風情を感じるのが、「暗がり坂」と「あかり坂」である。
「暗がり坂」はその名の通り、日中でも日の当たらない薄暗い石段の坂道。その昔、旦那衆は遊郭に遊びに行く時、人目を避けるようにこの坂を下ったとか。鏡花にとっては、小学校への“通学路”だったが。
一方、「あかり坂」は2008年、作家の五木寛之氏が、地元住民の依頼を受けて名付けたという。タイトルも『主計町あかり坂』(後に『金沢あかり坂』に改題)という小説に、“命名場面”が描かれている。泉鏡花の研究家で詩人でもある高橋冬二郎という80歳近い銀髪の老人に、こう言わせている。
「暗、と、明。泉鏡花にはあけの明星をよんだ句があります。そこで、あかり坂。よし、これできまった」と。花街というのは小説や演劇など、文学の舞台と非常に相性がいい。男女の愛憎劇により強烈な熱情や、切なくはかない情愛がなど描かれ、作品世界に深みが出るのだ。
それで思い出したが、手嶋龍一氏の小説『スギハラ・ダラー』に、金沢の芸妓が登場していた。主人公の英国秘密情報部員スティーブン・ブラッドレーが金沢の茶屋にすっと入り込み、美しい芸妓たちにたちまち受け入れてもらう、という設定だ。『ウルトラ・ダラー』ではスティーブンを新橋のお座敷に入り込ませた手嶋氏によると、「料亭の女将がすべてを取り仕切り、客の機密を決して漏らさない、というのはインテリジェンス・ワールドそのもの。女将の口の堅さは、かつての特捜検事と双璧」だという。
そういう意味では、お茶屋の女将や芸妓たちが演じるのは歌舞音曲に限らない。現代小説では、ひと味違う面白さが期待できそうだ。