利己・利他の間で

現代社会の若き論客として活躍する古谷経衡氏は、『鬼滅の刃』が「週刊少年ジャンプ」誌上で連載を開始した当初から読みはじめ、アニメ化、映画化を経ながら大ブームを引き起こす過程を見てきた。そんな古谷氏がこの物語とその周辺をどう見ているか、話を聞いた。

Photo TONY TANIUCHI  Text Izumi Shibata

現代社会の若き論客として活躍する古谷経衡氏は、『鬼滅の刃』が「週刊少年ジャンプ」誌上で連載を開始した当初から読みはじめ、アニメ化、映画化を経ながら大ブームを引き起こす過程を見てきた。そんな古谷氏がこの物語とその周辺をどう見ているか、話を聞いた。

底にある根源的なテーマ

ただし『鬼滅』の物語は、この王道に則りつつも、特徴的な部分もまた併せ持っている。それは核となるキャラクターが物語の途中段階で死んでしまうこと。

「主要キャラが死ぬこと自体はめずらしくありません。ただし大抵は、最終決戦まで温存されるのです。切り札は最後までとっておく。その方が最後の見せ場で盛り上がりますから」

しかし『鬼滅』は違う。
「どんな魅力的なキャラクターでも、負ける時は負ける。そして死ぬ時は死ぬ。それがないと、この作品のテーマ性が崩れてしまいます。そのテーマとは、圧倒的に強い鬼と、生身の人間の戦力差。そしてその差が生み出す冷酷な現実です」

古谷氏はさらに踏み込んで、『鬼滅』の根源的なテーマを読み取る。
「鬼と戦う話と言われていますが、結局は、人間を斬る話。人間が普遍的に持っている暗部と戦う話です」

鬼は他者のことを考えない。自分の欲望に従わない奴は殺してもいい。そんな行動原理を持つ者として描かれる、実に利己的な存在だ。

その一方で、人間もまた利己性を持っている。そしてその利己性は、時にとんでもない残酷さとなって表れる。『鬼滅』における鬼は、人間であれば誰もが持っているこの利己性の、いわば暗喩といえる。

ただし人間は利己的なだけではない。自己犠牲の心も持つ。その相反する二つの面を併せ持つのが人間の特徴であり、利己心しか持たない鬼との違いである。そんな鬼、人間、そして中間的存在が織りなす物語に託し、人間の勝手さ、恐ろしさ、優しさ、美しさ、悲しさ……そうした全体を描くのが『鬼滅』なのだ。

ただし、「実はこの構造は、『鬼滅』だけのものではありません。ゾンビものの定番なのです」と、古谷氏。

「すぐれたゾンビ映画は、怖いだけではない。“人間とは何か”という深い問いにしっかりと向き合っています」

そしてこうした根源的なテーマを扱うのであれば、よほど人物像や物語を掘り下げ、練り込まないと薄っぺらい表現になってしまう。『鬼滅』はその失敗を犯していない。

「ネタバレになるので詳しくは言いませんが、最終回では泣いてしまいました」と古谷氏。それほど『鬼滅』は、利己性・利他性を軸にして人間を描ききっている。
「この普遍的なテーマが、『鬼滅』を傑作たらしめている要因なのだと思います」

なお、このテーマが作品の中で現れてくるのは、現在単行本で22巻出ている長い物語の中盤以降。テレビアニメも劇場版も、まだそこまで物語が進んでいない。なので古谷氏のオススメは、アニメより原作コミックをまず体験することだという。

「読みはじめた最初の頃は、なかなか世界観が見えてこないというのが正直な印象でした。もちろん、物語の序盤から難しいテーマを描くわけにいかないので仕方のないことなのかもしれませんが。なので、6巻くらいまでは我慢して読み続けるのをおすすめします(笑)、最後まで読む価値のある作品ですからぜひ」

流行っているからと、軽く見るのは間違い。古典的名作とも共通する普遍性を備えている『鬼滅』の世界に、一度深く潜ってみてはいかが。

文筆家、作家、評論家  古谷経衡氏

古谷経衡 ふるやつねひら
文筆家、作家、評論家。
1982年北海道生まれ。立命館大学文学部史学科卒。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。若者論、社会、政治、サブカルチャーなど幅広いテーマで執筆評論活動を行う。TV番組コメンテーター、紙媒体連載、ラジオコメンテーターなど実績多数。著書に『愛国商売』『毒親と絶縁する』など。

※『Nile’s NILE』2020年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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