「ヨルダン川西岸をゆく 前編」から続く
パレスチナとイスラエル
エリコから西に向かう道は一気に高度を上げる。エルサレムまでは36km。羊の群れが草をはむのどかな丘陵地帯の連なりとアーモンドの花が咲き乱れる穏やかな風景は、有刺鉄線に囲まれた検問所や点在する高いコンクリートの塀に囲まれた集落へと変へん貌ぼうを遂げる。
1967年以降に始まったユダヤ人入植地で、西岸地区に150あまり。また64%はアクセスが制限されたイスラエルの管理地域だ。さらにイスラエル政府が「テロから守る防護壁」と呼ぶ分離壁が西岸地区を取り囲むようにイスラエルとパレスチナを隔てている。延長709km、高さ8mの壁は入植地を恒久化し、パレスチナ人の生活を分断して民族の自決を損なっているとして国連は非難決議をしている。「私たちはきっと故郷に戻る」と書かれた大きな鍵のモニュメントは、家を奪われたパレスチナ人たちの悲願の象徴だ。
問題の発端は紀元前のローマ帝国によるエルサレムの征服とユダヤ人の追放で、ユダヤ人たちは世界中に離散した。だが彼らにとってパレスチナの地は旧約聖書の創世記に記された「神に与えられた約束の地」であった。時を経て、第1次世界大戦におけるイギリスやフランスによる三枚舌外交がさらに事態を悪化させた。それでも1947年の国連によるパレスチナの分割決議を経て、1993年のオスロ合意によってパレスチナの暫定自治が認められ、和平交渉が始まった。しかしこの合意に尽力しノーベル平和賞を受賞したイスラエルのラビン首相は、合意に反対するイスラエル人の若者によって暗殺され、和平は決裂した。