眠らない街、大阪キッチュ
「キッチュ」とは、もともとドイツ語で「低俗なもの、悪趣味なもの」を意味するが、時代とともにニュアンスを変え、今では「低俗だが人を惹(ひ)きつけるもの」といった意味で使われることが多い。
新世界を出て難波、道頓堀を歩くと、派手なネオンやカニにタコ焼き、店主の親父を象った飲食店の巨大な看板の玉手箱のようで、まさにキッチュな魅力がある。
道頓堀に置いてきた青春
新世界が演歌なら、御堂筋沿いの道頓堀・心斎橋はモダンな若者文化を生み出してきた街だ。シャ乱Qやドリームズ・カム・トゥルーの歌にも登場するが、その先駆けの一曲は、71年にアメリカのバンド、ベンチャーズの曲に詩をつけて欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)がカバーした『雨の御堂筋』だろう。ここから、演歌から受け継ぐ、うまくいかない恋をしゃれたメロディーに乗せた大阪の歌が人気を博していく。
夜の道頓堀橋で思い出したのは、82年の上田正樹『悲しい色やね』。
大阪の海は 悲しい色やね
さようならをみんな
ここに捨てに来るから(中略)
Hold me tight
大阪ベイブルース
河はいくつも この街流れ
恋や 夢のかけら
みんな海に 流してく
こう歌われたら、ひっかけ橋と呼ばれる戎橋(えびすばし)の下を流れる道頓堀川さえ、情緒豊かに思えてくる。まさに清濁併せ呑み、大阪という街そのものに強い愛着を示すのも大阪歌謡曲の特徴だ。
その点で言えば、79年にリリースされて以来、長く歌われ続けるBOROの『大阪で生まれた女』は欠かせない。
大阪で生まれた女やさかい
大阪の街 よう捨てん(中略)
東京へは ようついていかん
踊り疲れたディスコの帰り
電信柱に しみついた夜
大阪出身者だけでなく、この街は昔から地方からも多くの人が集まる大都会だ。街を好きになれば、夜の大阪はさらに温かく、訪れる人を快く招き入れてくれる。街だけでなく、大阪に住む人を好きになれば、なおさらだ。
大阪のソウルバラードでは、大上留利子の『心斎橋に星が降る』も時代を超えた名曲である。
あなたがいれば大阪は
夢見る街やった(中略)
心斎橋に今夜は星が降る
少しは泣いたって ええやろ
来る者もいれば、去る者もいる。
前述の『大阪で生まれた女』では、悩んだ末に大阪を出ることを決めた女が、こうつぶやく。
ふり返るとそこは 灰色の街
青春のかけらを おき忘れた街
無数の人の青春のかけらが、今宵も大阪の街を美しく彩る。
人情あふれる月の小道 法善寺横丁
道頓堀の繁華街から路地を入ると、しっとりとした情緒漂う法善寺横丁がある。法善寺境内の露店が横丁に発展したもので、2度の火災を経験するも、その度に復興された。東西の入り口にかけられた、藤山寛美と三代目桂春団治の書による「法善寺横丁」の看板裏に、人々がここを心の拠りどころとして守ってきた経緯と支援への謝意が綴られている。
割烹や串カツ店が並ぶ法善寺横丁は、東京の第一線で活躍する料理人にもここで修業した人がいるほど、今も昔も食の名所だ。大阪の歌を語るのなら、藤島桓夫(たけお)の『月の法善寺横町』は外せない。
包丁一本 晒(さらし)に巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん
哀しいだろが
あゝ 若い二人の
想い出にじむ法善寺
月も未練な 十三夜
60年のヒット曲だから時代は古いが、「包丁一本~」のフレーズはあまりにも有名で、メロディーも心に残る。静かな小径を歩きながら見上げると、いかにも月が似合う空だった。横丁内に『月の法善寺横町』の歌碑もある。
歌中の「こいさん」は、恋人のために法善寺の水掛不動尊に願掛けをする。全身びっしりと苔こけむした石仏に、人々の想いの嵩(かさ)を感じた。
「浪速嬉遊曲 —大阪人の心を支える社—」へ続く