食文化と食文明

食語の心 第138回 柏井 壽

食語の心 第138回 柏井 壽

食語の心 第138回 柏井 壽、食文化と食文明

少し前の本コラムで、次は食文化と食文明の違いを書こう、と言っておきながら続きを書いていなかったので、今回はその話を。

いつのころからか、劇場型の料理屋が増え、カウンターなどで、料理人が講釈というか、料理解説をする場面が増えてきた。

近ごろのキーワードは「だし」。

いかにしてプロの料理人は「だし」を極めているか、という主張を語り、ときには客の目の前で「だし」を引く実演をする。

そして客に引きたての「だし」を試飲させる。と、ほとんどすべての客は感嘆の声をあげ、言葉を尽くして絶賛する。

なかにはメモを取る客もいて、どこかで見た光景だなと思いを巡らせば、学校の理科実験に行き着いた。

かくかくしかじか、こうしてあーすると、こんなおいしいだしが引けるのです。料理人は理科教師そのものだ。

アミノ酸やイノシン酸、科学的に分析した食材で、温度や加熱時間などを計算し、一定の公式を導き出す。

あるいは精肉商や鮮魚商。近年はこれらにもカリスマの称号を与えられるひとたちも居て、それぞれに熱狂的な信者さながらの料理人も少なくない。

いかにして食材をおいしく仕立てるか、創意工夫を凝らすことで、料理人たちから絶大な信頼を得ているのだが、繰り返し実験を行うことで、一定の法則を学び取ったわけで、やはりそこには科学の存在がある。

魚介類もだろうが、とりわけ精肉に欠かせないのが、湿度や温度を細かく管理できる冷蔵庫や冷凍庫などの、食品保存装置である。

これに至っては近代科学に基づく、精密工業なくしてはあり得ない存在であって、つまり現代の美味は科学の上に成り立っているのだ。

もちろんそれは極めて重要なことだが、それはあくまで作る側、すなわち料理人や、食材業者にとっての話だということを忘れてはいけない。

言い換えれば、食べる側にとってそれらの科学を学ぶ必要性はないのである。

料理に限ったことではないが、科学というものは、ときとして見解が分かれるのが通例で、Aという科学者の意見とBという科学者の意見が、正反対になることもある。

たとえば夏の京都を代表する鱧(はも)の骨切り。小骨が多く入っている鱧の身は、一寸あたり二十数回包丁を入れ、皮は切らずに残す。多くの料理人はそう習うようだが、異説も少なくない。

一寸あたり十数回でいいが、皮もわずかに切るほうが口あたりがいい、という料理人もいる。

また専用の鱧骨切り包丁を使うべきというのが通説だが、柳刃包丁のほうがいいという説を唱える料理人もいる。

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ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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