
本稿は実に半年以上ぶりに欧州を訪問し、帰国した直後に書いている。いつものとおり、我が国のマスメディアが日々報じている「世界イメージ」とは違う現実が、とりわけ欧州では展開しているとの印象を強く抱いたわけであるが、そうした中でとりわけ鮮烈に覚えたのが「ヒトと人間」が明らかに分離し始めているということだった。
今回、欧州を訪問したのはプラハで行われた安全保障フォーラム(GLOBSEC2025)に出席するためである。かつて「バルカンは火薬庫」と言われたが、欧州勢の中でもとりわけ旧東側諸国、すなわち中東欧圏は「ウクライナ戦争」によってさらにキナ臭くなっている。だが同時に地理的に見るとある意味細分化された世界であるかのようにも見えるので、我が国から見るとなかなかそこでの現実は分かりにくいものでもある。だからこそ、筆者は現地に出向き、今や地政学的技術(GeoTech)の中心地として確固たる地位を締めつつあるチェコの首都プラハにおける議論にかかわってきたのである。今回の参加は3回目であった。
安全保障フォーラムなので当然、そこでは「戦争(warfare)」の危険性について声高に語られていた。それと同時に、多くのベンダーたちがこぞって関連する動画を上映し、「危機」と「それに対する備えの必要性」をあおり立てていた。それらを静かに眺めながら思ったことがある。
実はこれらの動画には、ドローン(無人航空機)といったロボティクスは大量に登場するのだが、どういうわけか生身の人間はほとんど登場しないのである。無論、これら兵器としてのロボティクスを操縦する側の人々の姿は描かれている。だが、勇猛に登場するのはあくまでも戦場におけるロボティクスやドローンなのであって、それ以上でもそれ以下でもないといった構成でこれらの動画は描かれているのである。何とも言えない違和感を筆者は禁じ得なかった。