鄙(ひな)の地に美食を極めた飲食店ができ、それが周囲に波及効果を与え、やがてその地域全体が活気を帯びる。それなら好ましいことなのだが、先に書いたように美食家たちは、ピンポイントを目指しているのだ。
公共の交通機関すら使うことがないのだから、あとは推して知るべし。この店に限ったことではなく、フーディーと呼ばれる人たちは、そこに美食さえあればいいのであって、周辺の人たちはおろか、景観にさえ興味がないというのが通説だ。
地方にスポットが当たるというのではなく、お目当ての店にだけ光が当たっていて、周辺は暗いままだというのが、日本におけるガストロノミーツーリズムの、お寒い現状なのである。
食で町おこしを、と言うと聞こえはいいが、コンサルを含めたフードビジネス界と、イベント好きな地方自治体がタッグを組み、文字どおり絵に描いた餅を地方にばらまいているだけのことなのである。
東京を中心とした都会一極集中を避け、鄙びた地の食にスポットを当てることには諸手をあげて賛成するが、それはあくまで、もともとその地にあった食材や店、料理法などのことであって、縁もゆかりもない店が落下傘で飛び降りてくるようなことではないはずだ。
郷土料理という言葉があるように、その地の長い歴史の中で守り伝えてきた料理に注目してこそ、ガストロノミーツーリズムと呼べるのではないだろうか。
以前にも書いたが、地方の時代だとか言いながら、結局は東京に代表される都会人が、地方を自分たち好みに仕立て上げたいだけのことではないのか。
その典型とも言える店を、件(くだん)の番組が紹介していた。
京都府下にある店は包丁研ぎがテーマだと言い、その技を駆使した料理求めて、世界中から美食家が訪れるのだそうだ。
プレハブ小屋を改装した店で出されるのは、極限まで薄さを追求した削り節や、客の目の前で切るキュウリやニンジン、ジビエを使ったハンバーグなどで、2万5000円のおまかせコースのみ。
客の目の前で出汁(だし)を引いて見せるのが最近の京都の店の流行になっているが、それとおなじ匂いを感じる。本来は舞台裏で行うべき仕込み作業を、表舞台に上げることで客を驚かせ、ありがたみを演出する。数字のマジックを使うのも美食家には効果的だが、それは食文化ではなく、食文明だ。次回はその話をしよう。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2025年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています