カレーが映し出す日本の移民社会

本の食べ時 第4回 君島佐和子

本の食べ時 第4回 君島佐和子

本の食べ時 第4回 カレーが映し出す日、本の移民社会、君島佐和子
『カレー移民の謎―日本を制覇する「インネパ」』
室橋裕和著/集英社新書/ 2024年3月刊/ 1,320円

今年3月の発売からほどなくして話題を呼び、書評や関連記事が相次いだ。4月には一時品切れとなって、入手困難な状態に。7月ではや5刷に達するという快進撃。

副題にある「インネパ」というワードがどの程度の市民権を得ているのか、ちょっと想像がつかないのだが、インネパとは「ネパール人経営のインド料理店」を指す。バターチキンカレー、ナン、タンドールチキン、まさに本書の表紙のような料理を主軸にメニューを組むカレー店を思い浮かべればほぼ間違いないだろう。そのインネパの数、一説によれば、4000~5000軒にのぼるという。なぜ、ネパール人がインドカレー? どうしてそんなに増えた? その謎を当事者たちの証言をもとに明らかにしたのが本書である。

当たり前ではあるが、始まりはインド人経営のインド料理店だった。彼らが日本で店を展開するにあたり、本国インドで働いていたネパール人をコックに迎え入れたのが発端のようだ。1983年に来日したというカレー移民の草分け的人物の証言によれば、「インドのコックさん、自分の仕事しかやらない」。それはカースト制度の意識が影響した、伝統的な分業制なのだという。「でも、ネパール人は、ひとりでぜんぶやっちゃう」 世界有数の出稼ぎ国家という事情も関係している。主だった産業がないネパールでは、人口の1割が国外で働き、彼らが母国にもたらす送金額は1兆1千万円、GDP(2022~23年度)の約3割を占めるほど。 日本サイドの理由も著者は指摘している。来日ネパール人の急増は2010年ごろで、ちょうどその当時、インドのIT企業の日本進出が増えた。外国人でも会社が設立しやすくなる規制緩和(500万円以上の出資があれば可能)があった。東日本大震災の影響で中国や韓国からの来日減少に対して日本語学校が東南アジアや南アジアに営業をかけた、等々。「インネパには移民のダイナミズムが映し出されている」との一文にカレーを見る目が一気に変わる。

お金を用意させて日本へ呼び寄せる「コックのブローカー化」といったダークサイドも掘り下げ、子供の教育事情にも切り込む。在日ネパール人の急増を受けて2013年に東京・阿佐ヶ谷に開校した「エベレスト・インターナショナル・スクール・ジャパン」には400人以上が通うが、その7割はカレー店の子供たち。だが、ここは学費が高いため、夜間中学や定時制高校で学ぶケースも多いそうだ。そんな子供たちの学びの姿勢は胸を打つ。

著者の室橋裕和さんはアジア専門のジャーナリスト。最終章ではカレー移民の主要な出身地であるネパール中部バグルンを訪ねるのだが、そこで描かれる光景にはどこか複雑な気持ちにならざるを得ない。

「経営がうまくいっていないカレー屋のほうが多いでしょうね」とは、東京でネパール人の会社を担当する税理士事務所の人物の証言だ。実際、日本ではもう稼げないと見切りをつけて他国へ移るネパール人が増えていると話す人物も。特に選ばれている国がカナダ。英語が通じて(英語を話すネパール人は多い)、給料は日本の2倍(⁉)とか。 日本の経済力の低下はこんなところにも表れる。

これから日本のカレー界はどう展開していくのだろう。「むしろ日本人がインド料理を支えていくかもしれませんね」と語るのは1986年創業のインド料理店の2代目。それは当たらずとも遠からずという気がする。厳密なインド料理ではないものの、2010年代後半から沸き上がったスパイスカレーブームは、日本人のカレー観を刷新した。スパイスという融通無碍(むげ)な調味料を自由に使いこなす若者は確実に増えた。インド、パキスタン、スリランカ、ネパールまでもスパイスや食材の仕入れに赴く若者もいる。バックパッカーの経験を生かしてタイカレーで蕎麦を食べさせる蕎麦屋もある。どこか・何か・誰かを経由しない現地直結のカレーが日本人の感性によって生み出されている。

食には社会の様相が表れる。室橋さんは新大久保に住むそうだが、昨今の「多民社会」という言葉が広まるずっと以前から、新大久保は多民社会だった。その多国籍ぶり、カルチャーの多様性をいち早く知らしめてきたのは食だったように思う。それにしても一皿のカレーに溶け込んだ複雑な経緯と現実、悲喜こもごもを知ると、ただ安穏と食べていてよいのかという思いにかられる。

君島佐和子 きみじま・さわこ
フードジャーナリスト。2005年に料理通信社を立ち上げ、06年、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するクリエイティブフードマガジン『料理通信』を創刊。編集長を経て17年7月からは編集主幹を務めた(20年末で休刊)。辻静雄食文化賞専門技術者賞選考委員。立命館大学食マネジメント学部で「食とジャーナリズム」の講義を担当。著書に『外食2.0』(朝日出版社)。

※『Nile’s NILE』2024年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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