言葉は生きものだから、本来の意が時代とともに変わっていくのは、決してめずらしいことではないが、ここまで逆転してしまう例はさほど多くない。
メディアが贅沢という言葉を使うとき、ほぼ100%が好意的にとらえている。「贅沢ですねぇ」という言葉には羨望の意は込められこそすれ、非難の意などまるで含まれていない。だから、冒頭にあげた宣伝文句が掲載されても、誰ひとり非難しないわけだ。
贅沢は素敵だ、とばかりちまたには贅沢があふれ、とりわけ食の世界においては、最大級の賛辞となっているが、はたしてそれでいいのだろうか。
辞書にもあるように、「普通以上に」や「必要な程度をこえて」の食を、絶賛していいとはとても思えないのだが。
甘エビ丼などは、「近年漁獲量が激減している道産甘エビを」とわざわざ注釈を加えているように、その希少性をうたっているわけだが、それは近年の流れであるSDGsに逆行しているのではないだろうか。
絶滅危惧種を例に引くまでもなく、獲りすぎをはじめさまざまな要因で、希少性が高まっている食材は少なくない。それらは慈しむべき存在であるはずなのに、「必要な程度をこえて」まで盛ることを賞賛していいわけがない。
贅沢ブームの牽引役とも言えるのが、映えブームであることは間違いない。
本コラムでも再三指摘してきたが、映えと称して、食材をてんこ盛りにする流行は、衰えるどころか、ますますそのインパクトを競い合い、それをメディアが大きくとり上げるから、醜悪さはとどまるところを知らない。
てんこ盛りという言葉がまったく似合わない京都でも、近ごろはこの映え贅沢料理が大人気となり、丼のふちから刺し身がはみ出して垂れ下がる海鮮丼は今や、京都名物とさえ呼ばれるようになってしまった。
これをして「京都ならではの贅沢丼」とメディアが紹介するのだから、食の世界はいよいよ末世に入ってしまったようだ。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2024年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています