今からちょうど100年前の1924年、元号でいえば大正13年、CITIZENという名を冠した時計が初めて世に送り出された。シチズン時計の前身となる尚工舎時計研究所が設立されたのは1918年。創業者の山﨑龜吉は貴族院議員を務めた人物で、金の品位を示すK18、K24などの規定を日本で初めて立案し、貴金属取り扱いの嚆矢(こうし)となる田中貴金属ジュエリーの礎を築いたことでも知られる。
彼は時計の国産化の必要性を強く感じ、欧州、アメリカへの視察旅行後、尚工舎を設立。それから6年を費やし完成を見たのが「16型」懐中時計である。小秒針を備えた手巻きムーブメントを搭載し、簡素でありながらも丁寧な仕上げが見て取れる。インデックスの視認性も高い。
シチズンの命名者は、関東大震災後の復興に尽力した後藤新平伯爵。「市民に愛され親しまれるように」との願いを込めた。初任給が50~60円だった当時、この時計は12円50銭。現在の価格にすれば10万円を切る価格だろうか。シチズンの名に託された思いの通り、誰もが手に取れる質実剛健な良品だったことがうかがえる。
この時計について、興味深いエピソードが残されている。昭和天皇の侍従を務めた木下道雄氏は、著作『宮中見聞録』に、「16型」懐中時計を二つ求め、一つは自分用に、もう一つを昭和天皇に献上したと記している。ある会合の席で、国産時計の精度が話題にのぼった際、《陛下は、無造作にズボンの右のポケットから、懐中時計をとりだされ、「わたしの、この時計は、12円50銭の国産品だけれども、よくあうよ」と、おうれしそうに皆に示された》。
昭和天皇も愛でた名機のDNAが100年の時を経てよみがえる
シチズン
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