歴史
無常観と「羊のあゆみ」
文献上、日本にはじめて羊がやってきたのは『日本書紀』推古天皇7(599)年9月1日、「百済、駱駝一疋、驢一疋、羊二頭、白雉一隻を貢る」にさかのぼる。外交上のプレゼントになるくらいだから珍獣であったにちがいない。数少ないその後の史料においても、羊はポリティカルな「進物」であり続ける。
いっぽう未刻(ひつじのこく、午後二時)、未方(ひつじのかた、南南西)など干支の「未」は日々の暮らしに不可欠だったが、動物の羊とは無縁。羊はおそらく想像上の姿(鹿のような)で、人々の観念の中でだけ生きていた。
たとえば、勅撰和歌集『千載集』にこんな一首がある。
けふもまた午の貝こそ
吹きつなれ
ひつじの歩み近づきぬらん
『栄花物語』の作者として知られる赤染衛門が山寺に詣でたときに詠んだ歌だが、午刻(うまのこく)に法螺貝が鳴った。その音色をききながら、屠所にひかれる羊の歩みのように寿命が刻々と尽き、死が近づいていることをしみじみと感じさせられたというのである。
今年のNHK大河ドラマのヒロイン紫式部の『源氏物語』浮舟巻にも「羊の歩み」が出てくる。ヒロイン浮舟が薫大将と匂宮から熱愛され、板ばさみの苦悩から入水自殺を決意するという場面。
「川のほうを見やりつつ、羊の歩みよりもほどなき心地す……」
宇治川のほうに目をやりやりすると、死が間近に迫ってくるような気がするというのだ。
典拠は仏典。『涅槃経』に「是れ寿命は……囚の市に趣きて歩歩死に近づくがごとく、牛羊を牽きて屠所に詣るが如し」と説かれ、『摩訶摩耶経』にも、牛羊が一歩あゆむたびに死に近づくよりも、人の命が刻々と死にむかうことのほうが疾いと説かれているという。
彼女たちは当代きってのインテリだが、王朝時代、そこそこ教養のある人々は、「羊の歩み」ときいては命のはかなさ世のはかなさを思い、無常の理かみしめたにちがいない。もちろん、「屠所にひかれてゆく羊」に救主の姿を仮託した人々が、はるかアジアの西のかなたにいたなどということは知るよしもない。