令和を食べる Ⅰ

平成から令和へと代わった。西暦は継続性を持ち続けるが、元号はいったんリセットされる。昭和、平成、令和。時代の変遷とともに、食はどのように変化してきただろうか。

Text Hisashi Kashiwai

平成から令和へと代わった。西暦は継続性を持ち続けるが、元号はいったんリセットされる。昭和、平成、令和。時代の変遷とともに、食はどのように変化してきただろうか。

昭和・平成・令和

新しい元号というものは、なかなか馴染(なじ)めないものだが、令和だけはすんなりと馴染んだ気がする。

これまでと違って、新しい元号が決まるのを今か今かと待ち、決まった瞬間に歓声が上がるのは、今上陛下がご健在だからである。

万葉集を原典としたこともあり、これからの日本を表す元号である令和という二文字は、すでに多くの胸に刻まれた。

西暦は連続性を持ち続けるが、そこに元号が加わると、いったんリセットされる。別の時代になるのだ。

となれば、当然のように、その前の時代を振り向き、懐かしむことになる。平成を振り返り、さらには昭和までさかのぼる。

わけても食。あの時代にはこんなものを食べていた。さて、次の時代の食はどうなるのだろうか。

本来であれば明治まで時計の針を戻すべきだろうと思う。日本の食事情が劇的に変化したのは明治時代で、大正時代はその延長線上にあったからだ。

しかし、一番変化が激しかったのは昭和の時代である。戦前戦後という言葉があるように、昭和の真ん中に重石を置いているのは、第2次世界大戦だ。

今では考えられないが、食うや食わずの時代が近代日本にもあったのだ。大規模な戦争をするだけでも疲弊するのに、日本は負け戦をしたのだから、戦中だけでなく戦後も悲惨な食生活を送っていただろうことは、想像に難くない。

それもしかし、予想をはるかに超えて日本の食は豊かさを取り戻すのである。

僕が生まれたのは昭和27(1952)年。つまりは戦争が終わってから、まだ7年しか経っていない。だのに、戦後の食糧難なるものを知らずに育ったのは、なんともありがたいことだ。

物心ついた頃、つまりは昭和30年代の半ば。すでに京都では外食を愉(たの)しむ家庭が少なくなかった。親から聞いた話だが、僕が初めてオムツを替えた店は「大三元」という広東料理の店で、長く京都の中国料理をけん引してきた。

焼飯、焼売、酢豚がそろえば最高のご馳走だった。

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ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。