テロワール

食語の心 第81回 柏井 壽

食語の心 第81回 柏井 壽

食語の心 第81回

レストランの料理を表現するのに、しばしばテロワールという言葉が使われる。

元々はワイン用語だったようで、ブドウが育つ土壌や気候、場所などの環境の特徴をテロワールと呼ぶようである。
土地を意味するフランス語のテルから派生した言葉だといわれていて、ワインのほかに、お茶やコーヒーなども、テロワールという言葉で表現することがあるのだそうだ。

それをレストランにも当てはめているようで、日本語でいうところの、地産地消、あるいは身土不二などと、同じような使われ方をしている。

地方創生、地方の時代という言葉が盛んに使われるようになり、地方の食にスポットが当たり始めると、地方の飲食店のたいせつな要素として、テロワールという言葉が脚光を浴びることとなった。

言葉としては近年のものだが、その概念は古くから存在していた。最も近い日本語としては〈地方色〉という言葉を挙げることができる。よく使われるのは、地方の旅館だろうか。
-地の素材を使った、地元ならではの料理を-
旅館のホームページを開くと、料理の説明には、そんな文言が躍っている。メディアがこれを紹介するなら、〈地方色豊かな宿〉。

四方を海に囲まれた日本では、特に海の幸については、新鮮さを売り物にすることもあって、宿の在りかから近い港で揚がる海産物を、名物料理に仕立てることが少なくない。

たしかにそれもテロワールのひとつには違いないのだが、それだけではないはずだ。

とある九州の旅館で、夕食に出たお造りは近くの港に揚がったウニが主役だった。ところが、そのウニの上に載っているのはキャビアなのである。まさかキャビアがこの近辺で獲れるわけはないだろう。
そして、同じ港で揚がったという鯛の焼物には、なんと白トリュフがトッピングしてあるのだ。

高級食材志向というのか、高額素材志向ともいうべき流れが、地方の旅館にまで波及しているのには、ただただ驚くばかりだが、これではテロワールという言葉にふさわしくないのではないかと思った。

ウニもクエも、そのまま食べても十分美味しいのに、何ゆえ余計な足し算をするのだろう。
せっかくのテロワールを台無しにしてしまっているのでは、と僕などは思うのだが、お客さんの反応は上々なのだそうだ。

料理長いわく、ここでしか食べられないのだから、これもテロワールだ。そんな言葉を鵜呑みにして、料理評論家やホテル評論家といった、プロライターたちが絶賛する。
かくして、耳ざわりのいい言葉が、勝手な解釈を加えられて、ひとり歩きするという、いつものパターンがまた繰り返されることになる。

ワイン用語として使われてきた、テロワールという言葉の原点に、今こそ立ち返る必要があると感じている。ただ単に地場の食材を使えばいいというものでなく、その地の気候、土地柄を含めた風土というものに、深く馴染んでこその、テロワールではないだろうか。

たとえば京野菜。これも京都という土地の土壌、気候の賜物であって、ただ京都で作られた、だけではない。

あるいは京の和菓子然りだ。
四季がくっきりとしていて、それぞれの季節に歳時があることで、京の和菓子は生まれた。それはテロワールで言えば空気だろう。もしくは環境と言い換えることができる。それらを無視して、ただ単にそこにあるだけのものは、ある意味でテロワールの対極にあるものだと考えてもいい。

昨今、次々と京都にオープンしたチョコレートショップが典型だ。
祇園を筆頭に、洛中のあちこちに店を開くチョコレート屋さんの多くは、海外発も少なくないのだが、いつの間にか京名物のようになってしまい、時には行列ができたりもする。
はて、京都人はこれほどチョコレート好きだったかと思いきや、抹茶スイーツとおなじく、これに群がるのはほとんどが観光客だ。

言うまでもなく、京都でカカオが収穫されるわけもなく、盆地気候が特にチョコレート作りに適しているとも思えない。抹茶をアレンジし、町家風の店舗で京都らしさを演出するのとおなじで、イメージ作り以上の意味合いは見いだせないのだ。にもかかわらず、〈京都テロワールのチョコレートが人気!〉などと煽るメディアが後を絶たないのは、なんとも困ったことである。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2020年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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