旅行を趣味とする人は少なくない。趣味は食べ歩きだとする人も多い。SNSなどのプロフィールを見ると、多くの人々が、このいずれか、もしくは両方に当てはまるような気がする。食べることも旅も嫌いだという人は滅多に見かけない。
となれば、旅先で美味しいものを食べることを至上の愉しみとする人は相当数存在するのではなかろうか。
この際、日帰り旅は除外するとして、多くが泊まりがけで旅をするという前提に立って、その旅の夕食はどこで摂るかといえば、旅好きの方々から聞いたところでは千差万別。
宿は宿、食は食とばかりに、分けて考える人が増えてきたのは、泊食分離という流れが浸透してきた証しだろう。
その一方で、やはり宿でゆっくり夕食を摂りたいと願う人も減ってはいないようだ。
その地のお酒とともに、その地ならではの食をじっくりと味わい、眠くなればそのまま床に就けばいい。その安心感は何ものにも代え難い。オーベルジュを別にすれば、日本の旅館にしかないシステムだ。
それを突き詰めたのが部屋食という方式で、客室で夕食を摂り、同じ部屋で座敷机を布団に換えるだけで、食事と就寝を同じ空間で行う。かつての日本旅館はそれを売り物にしてきたが、時代の流れはそれを良しとせず、食事室を別に設ける旅館が急速に増えてきた。
前回例に挙げた「紅鮎(べにあゆ)」という琵琶湖畔の宿も同じくである。
温泉宿では部屋食に限ると願う旅人には部屋食を。食べる部屋と寝る部屋が同じなのは嫌だと思う客には食事室を。両方に対応するという宿の柔軟さは、他の旅館の規範となるべきだろうと思う。
そしてひとり泊まりの僕はどうするかといえば、食事室での夕食をセレクトする。
なぜなら、おひとりさま用の特等席が設えられているからである。
温泉宿でのひとり晩ごはん。これはなかなかの難敵である。部屋食は部屋食で侘しさが漂い、にぎやかな食事室で、ひとりごはんというのも周りから浮いてしまう恐れがある。最近になってあちこちの宿に出現しはじめたカウンター席でもあれば、心おきなくおひとり晩ごはんを満喫できるのだが、まだその数は少ない。
そこでこの「紅鮎」。奥には個室仕様の座敷席もあるが、大半を占めるのはレストランタイプのテーブル席だ。カップルふたり客から数名のグループ客まで、テーブルの配置で調整できるようになっている。
その中で、ぽつんとひとりテーブルに着いての晩ごはんは、居心地がいいとは言いづらいものがある。
特等席は、テーブルが並ぶスペースの奥まったところにあり、窓を向いたカウンター席になっている。僕はひとりだが、カップルにも恰好の席となる。
窓の向こうは琵琶湖。この宿は夕陽を眺められる宿としても知られていて、タイミングさえ合えば、琵琶湖に沈む夕陽を眺めながら、ゆっくりと夕食を愉しむことができるのだ。仕切りこそないものの、隔離されたような造りになっているので、他の客の視線が向くこともなく、安らかに夕食に専念できるのがうれしい。
よく考えれば、街場のレストランでも、こういうタイプの席は滅多に見かけない。誰にも邪魔されることなく、絶景を眺めながら夕食を愉しめるカウンター席。この宿のクリーンヒットだ。
そしてそこで食べられる料理については前回詳述したので、そちらも併せてお読みいただきたい。
えりすぐりの食材を使いながらも華美な印象を与えない。今、旅の宿に求められているのは、そういう料理ではないだろうか。
日本料理であるのに、やれキャビアだフォアグラだ、トリュフだと、高級珍味をちりばめてみたり、伊勢海老やアワビなどの食材に頼り切ることなく、吟味という言葉がぴたりと当てはまるような地場の食材を選び、奇をてらうことなく、それらを素直に調理する。
僕が今、日本の宿に求めているのはそんな料理なのだが、なかなかその願いをかなえてくれる宿は少ない。
お手本となる宿といえば、西の「俵屋」と東の「あさば」。この両横綱に尽きると言っても、過言ではない。
「俵屋(たわらや) 」はしばらくご無沙汰をしているが、伊豆修善寺の「あさば」へはこの春、久しぶりに訪れた。その料理にはますます磨きがかかっていて、夕食の間中ずっとうなりっ放しだった。
その内容はまた次回に。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2018年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています