ずいぶん前のことになるが、この連載で、日本旅館の料理のことを書いた。
古くは、お膳にずらりと料理を並べ、どこにでもあるような刺し身の盛り合わせから、冷めた天ぷら、固形燃料で温める小鍋など、どこの旅館でも同じような料理が並ぶ時代が長く続き、そのあとは一転して、京懐石をまねた高級路線へと移る。
それは、団体客中心の客層から、家族や夫婦、カップル客などの個人客グループへと変わったこととシンクロしている。
つまり日本旅館の料理は、客層の変化につれて変わってきたわけで、そのあたりがホテルとの違いだ。
ホテルのレストランというものは、基本的に外来の客すべてに門戸が開かれていて、宿泊とは切り離されている。
それに比べて日本旅館は、ランチタイム以外は、たとえ食事処があったとしても、宿泊客専用となるのが通例だ。
さまざまに議論はあるものの、多くが一泊二食体系で料金設定をしている、日本旅館独自のシステムが、宿の料理形態を決めているのだ。
旅館の料理が客層の変化につれて変わってきた所以である。
では、第6回に書いて以降、4年ほどの時間を経て、日本旅館の客層は変化したのか。
団体客から個人客へという流れに変わりはないが、さらなる変化を遂げているというのが、多くの一致した見方だ。
夫婦を主としたカップル客から、母と娘、女子会という名の女性グループなど、女性だけの客が増えてきたという。女性の社会進出を考えれば当然のことだと思うが、最も大きな変化は、一人客の増加だと多くが口をそろえる。
かつては忌み嫌われたと言っても過言ではないほど、敬して遠ざけられてきた一人客を、多くの日本旅館が受け入れるようになったため、一人で旅館に泊まる客が急増しているという。
となると、当然の結果として、旅館の料理も変化せざるを得ない。
女性だけの客も、一人旅の客も、料理が宿泊に付随するものとは思っていないはずだ。場合によっては料理ありきの宿泊となることだってあるのだ。
一泊二食付き、が逆転して、二食一泊付きに変わったとも言える。そうなれば料理の形もがらりと変わってくるのは必定。求められるのは自由度だ。
それはちょうど、日本料理の人気店が料亭から割烹へと移ったのと酷似している。
とは言え、今の京都の人気割烹は、何度も書いているように、おまかせコース一本槍だから、客の自由度は極めて低い。セレクトの余地がないのだ。
それに比べると、今の日本旅館は、予約の段階で料理が選べたり、あるいは宿泊当日でも料理を追加できたり、と何かと融通が利く。
となればホテルと同様、何日か滞在して、毎晩異なった料理を楽しむことも可能なのだ。
原稿を書くためにホテルに自主カンヅメになることが多い。そのほとんどは、予算の関係上ビジネスホテルになるのだが、ときどきはレストランを備えたホテルに泊まって、バリエーション豊かなレストラン料理を楽しむことがある。
それと同じことが、日本旅館でできれば宿ごもりが楽しくなることは間違いない。
京都から東海道新幹線で米原へ。北陸本線に乗り継いで着いた高月駅には送迎バスが待っている。バスに乗ること10分足らずで到着した宿は「紅鮎(べにあゆ)」という名の日本旅館。
目の前は琵琶湖。レイクビューの客室には露天風呂が付いていて、部屋に居ながらにして温泉が楽しめる。
湖北といえば知る人ぞ知る、食材の宝庫であり、湖魚を始め、近江牛、鴨、鰻、冬のジビエに加えて、地場産の野菜も品種は豊富。江州米もあれば、ひと山越えた日本海の幸も身近な存在。
食材には事欠かない地。あとはそれを調理する料理人次第、ということになるのだが、その点でもこの地が恵まれているのは、京都の奥座敷的な場所にあるということ。
京都人にとっての琵琶湖といえば、海の代わりを務めてくれる大事な場所。海水浴ならぬ湖水浴は、子どものころから慣れ親しんでいるのが、京都人の習い。京都の旦那衆や料理人たちが、骨休めにしばしば訪れる湖畔の宿。舌の肥えた客を相手に、必然的にその腕は磨かれてゆく。
日本旅館の料理は驚くべき進化を遂げている。その話は次回にまた。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2018年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています