インターネットの急速な発達は、食に限らず、世の中に情報をあふれ返らせる結果を生んだ。
食の口コミサイトを筆頭に、個人のグルメブロガー、食雑誌や女性誌のサイト、さらにはSNSに至るまで、日本中の飲食店情報は、全て網羅され尽くしていると言っても過言ではない。
とりわけ口コミサイトの広がりはとどまることを知らないかのように、増殖し続けている。
そこには88万軒もの飲食店が掲載され、その口コミ総数は2千万件を超えるというのだから、ただただ驚くばかりだ。
どこそこの店で、かくかくしかじかの料理を食べた。ただそれだけのことを書きたい、という人がこれほど多いということにまず驚く。
読んだ本のこと、観た映画のこと、聴いた音楽のことを書きたいという人が、果たしてどれほどいるだろうか。比べるまでもないだろう。
「読みログ」や「観るログ」「聴くログ」などがあったとしても、極めて限られた人たちだけのもので終わってしまうに違いない。
自らの存在感をアピールするのに、手軽で効果的なアイテムが、食の口コミサイト。それだけにその内容はまさに玉石混交。中にはウソ八百に近いものもある。
九州を代表する都市の町はずれに、小さな鶏料理屋があって、なじみというほどでもないが、時折無性に食べたくなって、しばしばのれんをくぐる。
仮にK屋としておこうか。K屋はその在り処が分かりづらいこともあって、ほとんどが常連客で、それもほぼ全てがご近所さんという店。
どこで聞きつけたのか、食通で知られるタレントがK屋を訪れ、その鶏料理を雑誌で絶賛したことから話は始まる。
食通タレント氏は仁義を守って、店の名も在り処も明かさなかったが、きっと血眼になって探し当てたのだろう。とあるグルメブロガーがK屋を紹介する記事を、口コミサイトに投稿した。
良しあしはおくとして、その執念には感心するしかないが、それも束の間。デタラメを並べた投稿に唖然とした。
このK屋はいっぷう変わった料理を出す。最も特徴的なのは焼き鳥を客に出すとき、串から外して皿に載せるのだ。なんでも串先が歯茎に刺さってケガをした客が居たからだそうで、もう20年近くこのスタイルを続けているらしい。ところがこの口コミ投稿には、「前歯を使って、串からレバーを外した瞬間、脳天を突き破る官能に震えた」と書いてあったのだ。
本当にK屋に行って食べていないことは明らかだった。
K屋は、串のまま客に出さないことに加えて、肝は焼き鳥にせず、千切り生姜と共に甘辛く煮付ける流儀を貫いている。
常連客からこの口コミの件を聞いたK屋の主人は、すぐさまサイトに連絡し、厳重に抗議した結果削除されたとのこと。
明らかな間違いがあったからこそ、この口コミは削除されたが、際に行ってもいないのに、想像だけで書いた口コミは決して少なくないという。
それにしても、と思う。人はなぜ店情報を発信したいのだろうか。行ったこともない店のことを書きたいのだろうか。
僕にはよく分からないのだが、心理学的にはよく知られたことなのだそうで、要は誰かとつながっていたいという願望がそうさせるようだ。つまりは口コミウェブサイトも、グルメブログも、どこまでが真実かどうかは疑ってかからないとダメだということ。
では評価点数はどうだろう。本連載でも繰り返し書いているが、どうにもアヤシイ。くだんの口コミサイトでは5点満点で評価がなされている。最高得点を得ているのは、六本木の和食店。なんと4.9点という高得点をたたき出している。完全紹介制、夜は二人以上で、最低価格が3万円、という高いハードルの店にもかかわらず、口コミの数は150を超えている。その平均値をとってもこの数字なのだから、ほぼ全員が満点近い点数を付けたことになる。
なぜこれほどの高得点になるのか。むろん純粋に内容が素晴らしいのだろうが、群を抜いて点数の高い店には、ある共通点がある。
それは、店側がイニシアチブを握っているということ。
紹介制ということはすなわち、客の氏素性が知られていて、かつ紹介者は保証人的な存在でもある。となればネガティブな口コミなど投稿できるはずがない。必然的に高評価、高得点になる、というカラクリだ。
このあたりのことを、次回はもう少し詳しく検証してみよう。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2017年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています