口コミ。読んで字のごとく、口から口へと伝えられていくことをいう。この本来の意である口コミと、今使われている言葉としての口コミは、全く別物だと理解していないと、大きな誤解を生むことになる。
今の時代、口コミといえばグルメサイト。ありとあらゆる飲食店を網羅したウェブサイトで、その最大の売り物が口コミ欄だ。
店のデータ情報だけなら、他にもたくさんグルメサイトがあるが、豊富な口コミ投稿で知られる某有名サイトは圧倒的な人気を誇っている。
最近では、そのレビュアーにもファンが付いているそうで、中にはグルメ本を出版するレビュアーもいて、匿名ながら有名人という、いくらかいびつな形になっている。
では、その有名レビュアーと呼ばれる人たちの、いわゆる口コミというものが、どこまで信用できるかといえば、これが何とも心もとない。
つい最近も、名の知れたレビュアーと店側の癒着ぶりが、週刊誌報道によって暴露されたばかり。
投稿にはハンドルネームを使っているものの、その名を使って店に食事に行っているそうだから、匿名性は極めて低い。
当然のことながら、店にとっては一般客より大事な客である。影響力の大きいレビュアーにネガティブなことを書かれないように、最大限の気を使う。それはいつしか特別待遇に変わり、やがて接待へとつながってゆく。
となれば、そのレビュアーはもうプロと呼んでもいいだろう。しかも言葉は悪いが、タカリの構造まで生まれているといわれるに至っては、本来の口コミとは程遠い世界と言わざるを得ない。
店に行けば特別待遇を受け、しかも無料で食事できるとなれば、誰が辛辣な評など書けるものか。レビューで絶賛すれば、また次回もゴチになれるはずだ。
こうして、限りなくプロに近いグルメブロガーは、勘違いという深みにはまってゆく。いっぱしの有名人気取りになり、ハンドルネームを振りかざす。
一方で店側は、これをうまく利用しようとして過剰接待に走る。
ここで少し内輪話をすると、最近はレストラン業界だけでなく、ホテル業界も有名ブロガーを重用しているそうだ。かつてニューオープンホテルの、オープニングレセプションといえば、著名なメディアに限られていたのが、最近ではブロガーを招待することも増えていると聞く。
-接待慣れしてないからでしょうか。招待宿泊を受けたブロガーさんは、舞い上がっちゃって、ベタ褒めしてくれるので、とても有り難いんです-
だそうだ。
結果、レストランもホテルも、口コミもどきのPR情報が、ネット上にあふれ返ることになる。
困ったことに、そのカラクリに気付かない人たちは少なくないのだ。
―雑誌やテレビのメディア情報は信用しないが、ネットの口コミは信用する―
有名グルメブロガーほど危うい存在はない。アマチュアのような顔をした、中途半端なプロだからである。
関西では少々名の知れたグルメブロガーがいて、この人のセールスポイントは、一年に600軒食べ歩くサラリーマン。
純粋無垢な人は、これを聞いて、凄い! と尊敬のまなざしを向けるが、普通に考えれば、「そんなバカな」となる。一日の休みもなく食べ歩いたとしても365軒。普通のビジネスマンが一年に600軒も食べ歩けるわけがない。明らかに業界の人だ。
それが明るみに出た事件があって、過去に自分がメディアで紹介した店に、自らコンサルをする旨の案内状を送ったのである。
これには鼻を白ませた飲食店オーナーも多くいたようだが、そんなことはつゆ知らぬ一般人の間では、今もって「ランチのカリスマ」的存在であり続けている。
繰り返しになるが、口コミとは、人の口から口へ、何ものも介在せずに伝わってゆくことを表す言葉だ。だからこそ信用度が高いのであって、インターネットという、即時に世界に広がるツールが介在すれば、もはや口コミでも何でもない。ただのネット情報に過ぎないものだということを、再度確認しておきたい。
多くは、口コミという名をかたったPR情報だと思ったほうがいい。それほどに、口コミサイトのレビューや、グルメブロガーの書き込みはあてにならない。
ではいったい何を信用すればいいのか。雑誌やテレビの店紹介か。はたまた有名料理評論家の言か。
次回はそのあたりを検証してみたい。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2017年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています