本来は家庭で作るものだった「おせち料理」は、今や店で売っているものとなり、当初は主にデパートの地下で売っていたが、今では紅葉シーズンが終わるや否や、コンビニの店頭にも「おせち予約受け付け中」のポスターが貼られる時代。
続くは「恵方巻き」だ。これもデパートとコンビニ、街の鮨屋も参戦して商戦が繰り広げられる。とりわけコンビニは恵方巻き発祥と言える存在だから、力の入れようも半端なものではなく、早いところでは年末から「恵方巻き予約受け付け中」の掲示が目立ち始める。
洋風、中華風など、重箱にさえ詰めれば何でもおせち料理と呼ばれ、形骸化していることは否めないが、それでもおせち料理は節会の行事食というルーツに基づくものであり、残していくべき食文化であることは間違いない。
一方で恵方巻きは、ただの商魂が生み出したものでしかなく、これをさも行事食のようにして喧伝するのはいかがなものか。いわれも根拠もない食を、メディアの情報操作に踊らされ、競って買い求めるのは滑稽でしかないのだが。
恵方巻きのルーツは大阪の花街にあるというのが通説だ。太巻き寿司を花街の遊女に丸かぶりさせ、それを見ながら、好色な旦那たちが酒を飲むという、猥雑な遊びがあった。
売り上げの伸び悩みを憂えていた海苔問屋の主人が、それをヒントにして、節分と絡め、丸かぶり寿司を売り出したのは、大正の終わりごろから昭和の初めだという。難波商人らしい発想で、大阪の一部では行事食として浸透していたようだ。
時代は下り、1998年。大手コンビニがこれを恵方巻きと名付けたところ、予想を超えるヒット商品になったのだ。
つまり恵方巻きなるものは、まだ誕生から20年も経っていない食なのである。しかるにメディアは、節分といえば恵方巻きを食べなければ幸運が舞い込まない、と大いに騒ぎ立てる。あたかもそれが、日本古来の伝統行事であるかのように表現する。
日本という国では、メディアの威力は絶大なものがあり、大阪の色町を発祥とする猥雑な風習が、一気に全国各地に広まってしまう。
本来、節分には鬼の難から逃れるために、豆まきをして鬼を追い払い、二度と家に入れないようにと、「柊鰯(ひいらぎいわし)」を玄関に飾るという風習がある。その柊鰯を作るために、節分の日は鰯の丸焼きを食べるのだ。これが正しい節分の行事食なのだが、メディアはそんなことにはほとんど触れず、恵方巻きばかりを伝える。
こうして、本来の正しい行事食は忘れ去られ、にわかイベントばかりが盛んになってゆく。和食がユネスコ無形文化遺産だとかいっても、所詮はこの程度のもので、商業主義優先の今の日本では、派手で、簡単で、インパクトのあるビジュアルのものばかりがもてはやされるのだ。
柊鰯などという地味で、面倒くさいものは、大した利益を生まないが、大量生産される恵方巻きは、企業の大小を問わず、大きな利益をもたらす。十数年も前、売り出された当初は傍観していた鮨屋が、競ってこれを商うようになったのは、まさしくそこである。
それが正しい日本文化であろうがなかろうが、便乗してもうかるなら何でも売る。悲しいかな日本は今、そんな営利優先主義とでも呼びたくなるような風潮が蔓延している。
節分は元々、季節が始まる前日を言い、春夏秋冬の4度、節分はやってくるのだが、いつの間にか立春の前日だけを指すようになった。
季節の変わり目、すなわち節分には邪鬼が生じると伝わってきた。それはおそらく、体調を崩しがちな、季節の変わり目に注意を促す、暮らしの知恵だったと思われる。
冬から春へ。最も体調を整えにくい節分に、良質のたんぱく質を摂取するために、年の数だけの豆を食べ、ビタミン豊富な鰯を丸ごと食べる。それが豆まきや、柊鰯という風習につながった。
その時々に食べておきたいものを、風習、習俗と重ね合わせることで生まれた、日本の行事食。それを守り伝えていくことこそが、和食をユネスコ無形文化遺産とした、本来の目的である。
にもかかわらず、その牽引役を果たした、京料理屋の主人たちが、喜々として節分の恵方巻きを広めていく姿は醜悪でしかない。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2017年2月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています