発酵食品、あるいは発酵調味料によって、日本の食品、料理は成り立っていると言ってもいい。
もしも発酵という過程を知らずにいれば、今のような豊かな食生活にならなかっただろうことは疑う余地もない。
腐敗と紙一重のところで、発酵は踏みとどまっていて、それは主に微生物と時間経過が、相まって生み出すもの。自然の摂理をうまく活用したものと言い換えることもできる。
そう考えれば、何も声高に自慢するようなことではないのだが、どうも近頃は何かにつけて、我が我がと自慢する向きが多く、それをまた、必要以上に持ち上げるメディアが少なくないのも困った傾向である。
関西ローカルの、あるテレビ番組で、最近人気のステーキハウスを紹介していて、その店のオーナーシェフが、熟成肉自慢をしていた。
「一定の温度で、条件さえ満たせば、牛肉は旨みを増すんです」
そこでレポーターが大げさに驚いてみせる。
「え? そうなんですか? 食材は新鮮な方が美味しいと思っていました。シェフ、すごいことを発見されましたね」
腕を組んだシェフは、自慢気に胸を張った。
まさしく茶番劇である。一定の期間熟成させると肉が美味しくなるというのは、昔からの常識である。
僕が子供の頃だから、今から50年ほども前のこと。
お使いを頼まれて、近所の肉屋へすき焼き用の肉を買いに行った。ガラスケースの中の、どの肉を買おうか迷っていると、店の主人がアドバイスしてくれた。
「見た目は茶色いけどな、この肉は今が食べ頃なんや。こっちはきれいな赤い色をして、いかにも旨そうに見えるけど、まだ旨みが肉に回っとらん」
二種類の肉塊を僕に見せて、説明してくれた。当時は注文を聞いてから、スライスするのが当たり前だったようだ。
果たしてそれを買って帰って、すき焼きにすると驚くほど美味しかった。父は僕を褒めてくれた。
「ええ肉を選んだやないか。肉は腐りかけが一番旨いんや」
無論それは極論だったのだが、一定の時間を経過することで、牛肉は旨くなるということを、子供のときに学んだ。
半生記も前から、いや、もっと以前からの常識だったに違いない。熟成というプロセスを経て牛肉は旨みを増す。それを、さも自分が見つけたように自慢する料理人。何ほどの疑問を挟むことなく、それを賞賛するメディア。
長く続く、いびつなグルメブームは、かかる場面で顕著に表れる。
似たような話はBS番組でもあった。行列のできるパン屋のレポート。パン生地を寝かせる段の話になって、レポーターがパン職人に問う。
「このときはどんなことを考えておられますか?」
「美味しくなってくれと願っています」
「さすがシェフ。本当に愛情を込めてパン作りをなさっているんですね。ちょっとウルッと来てしまいました」
よくもまぁ、公共の電波を使って、こんなくだらないやり取りができるものだと、妙に感心してしまった。
いつからパン職人を、シェフと呼ぶようになったのかは知らないが、食を作る人間を絶賛する傾向は年々顕著になる一方だ。
人間誰しも褒められればうれしいし、一介のパン職人でいるより、シェフとあがめ奉られて悪い気はしない。一度や二度なら、さほどのことはないが、これを繰り返すうち、職人は増長し、謙虚さを失ってしまう。人間というのは悲しい生き物なのである。
では、このあしき傾向を断ち切るには、どうすればいいか。答えは簡単である。メディア側が、きちんと勉強したうえで、取材に臨めばいいだけのこと。
ステーキハウスを取材するなら、素材となる牛肉について、あらかめ調べておくのは当然のことである。あるいはパン屋をレポートするなら、どんな製造過程を経るのか、原材料は何を、どんな風に使うのか。最低限の知識を持って取材に臨めば、店側の主張をうのみにすることなく、さらに突っ込んだ問いかけができるだろうし、賞賛すべき点と、そうでないことが区別できるはず。
予習もせずに、いきなり店を取材するから、店の広報係と化してしまう。取材にこそ熟成期間が必要なのである。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2015年2月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています