食べ放題禁止

食語の心 第17回 柏井 壽

食語の心 第17回 柏井 壽

食語の心 第17回

メディアの中で〈食〉の占めるウエートが年々高まっている。
〈食〉にまつわる事件はニュース番組で報道され、その後はワイドショーで繰り返し取り上げられる。

最近で言えば、中国での鶏肉スキャンダル。某ハンバーガーチェーンのチキンナゲットに、賞味期限の切れたものや、不衛生な鶏肉を使用していたことが明るみに出て、大きな話題になった。
食材として使用していた会社は、遺憾の意を表し謝罪する。消費者側は食の安全を脅かされたと怒りをあらわにする。何度となく繰り返されてきた図式だ。

無論のこと、一番悪いのは、ずさんな管理をしていた、中国の食品会社なのだが、そもそも、信用していたこと自体が間違っているのではないだろうか。餃子事件も、そんなに古い話ではないし、こういう不祥事は日常茶飯事と言ってもいいほど。

ことは中国に限らず、我が国と諸外国では、〈食〉に対する概念がまったく違う。以前にも書いたように、日本には古来、〈食〉は賜るものだという意識がある。

農家が手塩にかけて育てた作物でも、熟達の漁師が釣り上げた魚だろうと、我が子同然に育て上げた畜産であっても、すべてそれらは、天から賜った授かりものだとして、先祖から教えられ、誰もがそう信じてきたのである。

であるからこそ、食材と対峙するときは心から慈しみ、決して粗末に扱うことなどない。

だが、工業製品と同じように食材を扱って平気な、他国民も多いわけで、それを責めても仕方がないと思う。生産効率を高め、少しでも多く利益を上げることが至上命題の国に、我が国の〈食〉を委ねることが、どれほど危ういことか、先刻承知だったのではないか。

長く続いたデフレ経済の申し子のような、激安グルメには、それなりのリスクが伴うことを覚悟せねばならない。

ボランティアでなければ、どんな〈食〉にも必ずコストが掛かる。食材はもちろん、店の設えや設備、場所代から人件費、什器などなど。
それらを勘案したうえで売価が決められるのだから、安いものには必ずワケがある。どこかで原価を抑えているので、そのベースとなるのが食材だということは、衆目の一致するところ。となればリスクを伴って当然なのである。

「安物買いの銭失い」
昔の人はうまいことを言ったものである。高いものにはそれなりの理由があり、安いものもしかり。それを心得た上で選び分け、時に応じた〈食〉を楽しめばいい。

狭い国土ということもあり、我が国の食料自給率は極めて低い。いきおい他国に頼らざるを得ない部分もあるのだが、今後は自国で賄えるよう、官民あげて態勢を整えて欲しい。
あくまで素人考えだが、システムを構築すれば、そう難しいことではないような気がする。それ相応の利益が上がるようにすれば、食材を生み出す仕事に従事する人は増える。要は需要に見合うだけの食材を供給すればいいのだから。

さすれば、需要の方を見直すのも一法ではないだろうか。
それには廃棄率を極力抑えるのが至上命題となる。無駄な食べ残しを抑えるだけでも、相当な効果があるはずだ。

まずは食べ放題などという、愚かなシステムを放棄するのが先決である。
食べ放題は、果たして他の国で、我が国ほど浸透しているのだろうか。さほど多くない、僕の海外経験でも、めったに見掛けなかった。

どれだけ食べても同じ値段だから、食べなきゃ損だとばかり、浅ましいほどに皿に載せる。それを食べ切るのならまだしも、平気で食べ残す。食べ放題の店は、その多くがファミリー客をターゲットにしているから、家族連れが多い。本来であれば、こういう場こそ、食育に適しているのだが、平気で食べ残す親を見て、子供がどんな育ち方をするか、言わずもがなであろう。

元来、ビュッフェスタイルは、自分の好きなものを選んで食べる、というシステムとして始まったもの。それがいつしか、いくらでも食べていい、という形に変わってしまった。

時間制限があるせいか、我先に料理を奪い合い、山盛りの皿に背を丸め、犬食いする姿は見苦しい以外の何物でもない。食の作法という観点からも、食べ放題禁止令を発令すべきである。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2014年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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