初夏になってから政策研究大学院大学に通っている。短期集中コースなのであるが「科学技術政策(Policy for STI)」について学んでいる。音を立てて始まった大転換の時代においてカギを握るのは最終的に科学による人類社会全体の刷新だ。
私自身、50を超える今になって理科系に転じ、人工知能(AI)を大学院で学ぶようになったのは、そうした潮流の最前線に立ち、リードしたいという思いからである。
この短期集中コースには年のころ私よりも20歳近く若い官僚諸君が寄り集っている。彼・彼女ら(最近は女性の中央省庁官僚もかなり増えている)の良い意味で「鼻息の荒い」議論を毎週楽しみに週末、六本木のキャンパスを訪れている。
学んでいる内容は「科学技術政策」、すなわち「STI=科学(science)+ 技術(technology)+イノベーション」のための政策について、これまでの流れと、現状、そしてこれからのあるべき姿についてである。そもそもこの言葉について私たちは普段、慣れ親しんでいるのかというとそうでもない。響きこそ良いが、その内容は何かといえば「さて、何なのか?」とならざるを得ないのである。
まず「科学」とは何なのかという問いがある。科学というと試験管を振って、白衣を着て、といったニュアンスがあるが、それでは「人文科学」「社会科学」はそれに含まれないのか。また「科学」と「技術」をくっつけているけれども、「技術」は工学なのであって基礎科学からはどうしても冷めた目で見られてしまう。
さらに日本語としては出てこないけれども、STIといったとき、この語は当然のことながら「イノベーション」という意味合いを持つ。そしてこれが世の中を根底から変えるということならば、どちらかというと政治や経営といった話にならざるを得ないのである。
講師の先生方の話を次々に聴く限り、我が国では「科学技術政策」が全くもってうまくいっていない。文字通りの「サルまね」で米欧勢のまねをして次々に制度改革をするのだが、いかんせんカネがない。いや、あるのだが個別の大学研究プロジェクトにだけ出され、それを行うためのインフラ基盤整備のためのカネは出されないのだ。
とどのつまり、国立大学における若手研究者の待遇はじり貧となり、担い手がいなくなり始めている。全くもって愚の骨頂と言わざるを得ない。
講師の先生方は大いなる嘆きとともに「かくあるべし」という議論を展開してくださっている。だが、そもそも論としてその「根本」に相当する部分について言及がないのだ。それは我が国の中心柱である「権威」というべき存在が瓦礫の山と化した敗戦直後の我が国において、「いつ終わるとも分からない経済戦争」を始め、STIを自ら指揮してきたという史実である。これに直接関与すべき人脈に私自身属しているからこそ、このことを知っている。
すなわちこうだ。—我が国固有の「権威」の下、整然と旧海軍技術将校らが当時のベンチャー企業に配置され、そこに「簿外資産」を重点的に注ぎ込み、リスクフリーな経営・開発環境が創り出された。企業群は技術革新と商品開発を着実に推し進め、ついには大企業「日の丸護送船団」としてかつての戦勝国たちに対する経済戦争を挑み始める。
そしてついには「平成バブル」という形で勝利を収めるとともに、出口のないトンネルへと我が国は入り込んでしまう—。「権威」なきところに結束はなく、科学の発展はない。「亡国のフィナーレ」が鳴り出した今だからこそ、私はこのことについて声を大にして言いたいのだ。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。