ニッポンの臆病な「個人」と 9月暴落の罠

時代を読む-第16回 原田武夫

時代を読む-第16回 原田武夫

時代を読む――原田武夫 第16回 ニッポンの臆病な「個人」と 9月暴落の罠

最近、つくづく思うことが一つある。それは私たち日本人が、マーケットの度重なる暴落によって、すっかり臆病になってしまったということだ。今年5月末から6月にかけての展開が、まさにそうだった。

「NISA相場」と銘打って始まった今年=2014年の日本株マーケット。しかし、それからしばらくして明らかになったのは、時に崩落を伴う、極めて不安定な年明けのマーケットという実態だった。

そうした中で、一貫して我が国の株式を派手に売り始めたのが米欧勢だ。まずはフランス系、そして次に英系の「越境する投資主体」たちが、続々とこれ見よがしに日本株を投げ売り始めたのである。当然、市場のボラティリティはうなぎ登りに上がっていく。

そこで最大の「被害者」となったのが、哀れなるかな、私たち、日本の「個人」だったのである。思えば昨年5月後半に日本株が暴落して以来、しばしチャンスをうかがっていたのが私たちなのであった。そして「その時」は突然、昨年11月12日にやって来た。欧州系年金基金が、すさまじい勢いで日本株を買い出したのである。そこから日本株はしばし急騰する。

「失われた20年」「リーマン・ショック」「アベノミクス前の急激な円高」これらによって私たち日本人はあまりにも臆病になっている。そのため「石橋を叩いて渡る」ものの、「橋が叩き割られる直前」にしか絶対に渡るまいと、あらかじめ心に決めてしまっているのだ。この時も全くそうであり、カレンダーが師走を告げ始めたころからようやく「個人」は日本株買いに走り始めたのである。

しかし、実に不思議なのが私たち日本人の持つもう一つの習性だ。ひとたび流れができてしまうと完全に思考停止し、「我も、我も」とその向きに走り出すのである。この時も全くそうであり、「個人」は慣れない株式の信用買いに走ってしまった。

「外国人」たちはそうした行動パターンを実によく熟知している。日本の「個人」にとっては、全くもって不可抗力なこと(「ウクライナ動乱」等)を理由にマーケットを揺さぶっては、「個人」が持つ日本株を放出するよう促し続けてきた。その時期は実に5か月にも及び、最後の最後まで「個人」が翻弄されたのである。無論、そうやって安値で手放される日本株を、今度は「外国人」たちが全力で買い集めたことは言うまでもない。

そしてまた再び「日本株高騰」である。明らかに疑心暗鬼となったままの「個人」を後目に、まずは米欧系“越境する投資主体”ら「外国人」が、これ見よがしに日本株の上昇を演出し始めた。無論、彼らはその後、我が国の公的・準公的マネーが「アベノミクス」の一環として、日本株買いに走らされるのを知って、そのように動いている。6月に入るやいなや、平均株価は初日の2日だけで300円近くも急上昇。これを見たメディアたちはこぞって「局面の転換」を叫び始めたというわけなのである。

そう、これから起きるのは「例によって例のごとく」のパターンなのだ。疑心暗鬼であった「個人」も夏休み前になって懐具合も温かくなり、時間にも余裕ができるとマーケットへとおそるおそる向かうはずだ。そこには魅力的な「日本株高騰」という蜜が待っている。多くの「個人」が、これを貪り食うのは目に見えている。そして、その蜜にアリのように集る「個人」たち……。

だがその向こう側では9月半ば以降をめどに、リスクが山のように集積して来ている。キーワードは「円高転換」であり、それが現実になった瞬間にマーケットは阿鼻叫喚の修羅場と化す。その時、ようやく「個人」は気づくのである、「あぁ、これはまた罠だったのか」と。――このコラムを読んで一人でも多くの「個人」が目覚めることを心から祈る次第である。

原田武夫(はらだ・たけお)
元外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
情報リテラシー教育を多方面に展開。講演・執筆活動、企業研修などで活躍。
https://haradatakeo.com/

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