極寒のロシアの首都モスクワを訪問してきた。前回訪問した際にはマイナス2~3度だった気温が今回はマイナス15度。あらかじめ天気予報を調べていたので十分着込んで現地に向かった。そのおかげで風邪を引くことなく、完全に凍結したモスクワ川の水面を斜めに見ながら、無事に東京へと再び戻って来ることができた。
私が初めてロシアを訪問したのは今から26年前のことだ。年数でいうとたったの「四半世紀」に過ぎない。だがこの国は驚くべきレベルで変わった。少なくとも表面的には、である。
そのことは街行く人々の様子で分かる。思い思いにファッショナブルな格好をしている。かつては薄汚れたジャンパーを着、皆同じプラスチックの大きな安っぽい眼鏡をかけていた若い女性たちが、モデルと見間違うばかりのスタイルをコートで包み込み、街路を闊歩している。そして大通りはというとメルセデス・ベンツであふれている。
「時代は変わった」
モスクワ川を眺めることができるホテルの窓際から夜景を見ながら、私はふと思った。
1992年9月。既に肌寒いモスクワを私はシベリア鉄道に乗って訪れた。大学3年生の時である。通りには車はほとんど走っておらず、時折、轟音を立てて走るソ連製の公用車ばかりだったことを今でもよく覚えている。食べ物は全くなく、人々は明らかに飢えていた。「国家」としてのソ連が崩壊した直後だったのである。若い女たちは春を売って糊口をしのいでいた。それが当たり前の時代だったのだ。
その時代から比べれば、ロシアは確かに「豊か」になった。だが、ひとたびその市井に入り込むと、実は全くもってその基本的な「構造」には変わりがないことに気づくのである。ここに来て私はかつて世界屈指であった「ソ連科学アカデミー」のリーダーたちとモスクワでとあるプロジェクトを立ち上げようと努力している。それはそれでうまくいっているのだが、彼らが口々につぶやくことがあるのだ。
「今回お話しするのは軍事技術であったものだが、もう相応の年数が経ったので自分の意思で処分してよいことになった。だが、あまり派手にやるとあのテレグラムの社長のように国内に戻れなくなるので、あくまでも静かな形でビジネス展開したい」
テレグラムとは、ロシアやその周辺諸国でよく使われてきたソーシャル・メディアの一つだ。これも軍事技術の一つであり、それを民生転用したわけだが、その経営者が当局に目をつけられたのである。要するに「いくらなんでも儲けすぎ」というわけだ。
「そんなにリスクがあるのであれば、なぜ今回、この技術でビジネスをしたいのか」
そう尋ねる私。これに対して白髪の老人である彼の地の科学者たちは、一様にこう答えるのだ。
「悪いのは政治家たちである。彼らはその特権を利用して不当に蓄財している。私たちはこれまで真面目に技術開発一本でやってきた。それを最後の最後に自らの利益のために少しだけ使ったからといって罪に問われるのは納得がいかない」
つまりは「あいつらがやっているのだから俺たちがやっても構わないだろう」というのだ。泥棒国家そのものである。その意味では全く何も変わっていないのである、ロシアは、あの頃と。いや、もっとひどくなっているかもしれないのだ。
何せ、目の前にパイがあるかどうかではなく、「巨大なパイが山盛りになっている」わけであるから。それを政治リーダーから我先に奪い合っているのだ。そこにはもはや「国家」の姿はない。そうあらためて強く思った。
そうであるからこそ、憂国になる私がいる。「政治家が自分から先に取る国家であるという意味では我が国も全く同じではないのか」と。
モスクワ川の寒さが妙に体に馴染むこの頃である。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています