細野晴臣と横尾忠則が対談し、アルバム『COUHIN MOON』ができ、さらにYMOが結成されたころから、彼らのことは知っていたが、本当に仲良くなったのは、日本メディアとしては単独取材となるL.A.のグリークシアター公演(79年8月)と、3週間のヨーロッパツアーに同行した第2次世界ツアー(80年10月〜)以来である。
坂本龍一と矢野顕子が初めて仲良くなったのがグリークシアター公演であり、ひそかに大騒ぎするスタッフの脇にいた唯一のメディアが私だった。が、第2次世界ツアーのヨーロッパでの二人の関係は最悪で、坂本は痩せ細り、矢野は楽屋に貼ってあったYMOのポスターにマジックで×印をつけまくり「YMOのバカヤロー!」と言っていた。その写真は写真集『OMIYAGE』に掲載したのだが、後にYMO再結成アルバム『テクノドン』発売時に使った「ノットYMO」のロゴは、この写真を参考に作られたのである。
ヨーロッパツアーは、長距離移動、リハーサル、それぞれ全く環境の違う会場でのライブ、パーティー、その合間に理解度の低いメディアによる取材や撮影が入ってくるという過酷なものであり、YMOメンバーは懸命にそれに耐えている様子だった(気楽な取材者である私は、ワインばかり飲んでいたのだが……)。
さすがにつらそうな坂本に声をかけ聞いてみたことがある。
「よく、こんな厳しい毎日耐えられますね? 大丈夫ですか?」
坂本の答えはこうだった。
「大丈夫ですよ。何も考えない練習をしてますから」
そう言われた時はあまり気にならなかったが、その30年後、禅修行を始めた私は、坂本のこの言葉をしきりに思い出すようになった。
「何も考えない練習」とは坐禅(ざぜん)そのものであり、最初にぶち当たるのが「何も考えないようにしようと、考えてしまうこと」から抜け出せなくなることである。「何も考えない練習」とは、坐禅では非思量と呼ばれ、坐禅の玄旨であり、入り口であり出口なのだ。坂本はYMO時代、細野の宗教性を嫌っていたが、自身が宗教ではない宗教性を身につけていたことは確かだろう。
2020年にがんが再発し、6度の手術を受けた2年後、坂本はNHKの『MUSIC SPECIAL』でピアノソロを撮りだめし、生涯の最高傑作となる作品を生み出した。この仕事は、何らかの宗教的バックボーンがなければ、到底やり遂げられなかっただろう。
第2次世界ツアーはアメリカに移った途端、霧が晴れたように状況が変わり、メンバーは完全に釈放され、教授とアッコちゃんも1年前のようなアツアツ状態に戻った。しかし実は、”散開”、再結成を経てもメンバーYMOという現象から解放されることはなかった。真に解放されたのは、細野と坂本の和解を経た2010年代になってからではなかろうか。
坂本は早熟の天才だった。音楽では『メリークリスマス・ミスター・ローレンス』、書籍では『音を視る、時を聴く 哲学講義』が、彼のピークだったと私は思う(NHK『MUSIC SPECIAL』を除き)。後者は、東大教授で日本哲学界最後の重鎮、故・大森荘蔵との対談集で、当時の坂本は弱冠30歳・哲学最大の未解決問題であり、哲学的な施策によっては解決不能であるかもしれない問題、その核心に日常の言葉で迫る、最重要な哲学入門書だと思われる。その問題とは、例えば、”今・現在”とは何かということである。それは点ではなく(点であるとすれば、今、音を聞くという知覚が成り立たなくなってしまう)、幅をもったものに違いないのだが、その幅とはどんなものなのか? 坂本はこの時点で、哲学最大の問題の所在に気付いており、最後には大哲学者に「(哲学に)これで正解というのはないでしょうね」とまで言わしめている。