
MOを最も近くで目撃した 編集者が語るYMO
YMOは1978年に結成され、83年に“散開”。わずか5年の活動期間であったにもかかわらず、そのテクノサウンドの影響力は音楽シーンを超えて、その後のさまざまなカルチャーシーンにまで及びました。
93年に「再生」、そして2007年にも再結成プロジェクトが企画され、以降、細野晴臣さん、坂本龍一さん、高橋幸宏さんの三人は、時にYMOとして、時にYMO以外のユニットやプロジェクトで活動を共にしていきます。
しかし本当に残念なことに、今年になって高橋幸宏さん、坂本龍一さんが相次いで帰らぬ人に……。
今回、改めてYMOに向き合ってみようと考え、ある人物にたどり着きました。かつて小学館の人気男性誌『GORO』の名物編集者として鳴らした根本恒夫さん、その人です。根本さんは、1979年8月に敢行されたYMOの伝説的なアメリカでの初ライブ、ロサンゼルスのグリークシアター公演を、唯一の日本からのメディアとしてレポート。
さらに80年のワールドツアーにも、フォトグラファーの三浦憲治さんと共に約1カ月にわたり同行。その後、写真集『OMIYAGE』を企画・編集し、83年の「散開」に際しては、他の媒体に先駆けて『GORO』誌上でそれを伝えています。
実は根本さん自身は、ボブ・ディランやザ・バンドなどのルーツミュージックのニオイがする音楽を愛してやまないのだとか。しかし、そんな根本さんにとっても、YMOの登場は見逃せない「事件」だったのです。
個人の趣味や価値観を超えて押し寄せ、時代を呑み込んでいく圧倒的な社会的現象……。
その発端から第1次の終焉までを間近で目撃し、発信してきたYMOに最も近かった雑誌編集者の貴重な証言をお届けします。

(左)「散開」後の84年3月に出版された写真集『SEALED』。小学館の写真誌『写楽』特別編集として企画された。
YMOを語る 目次
YMOという記憶
―――
L.A.公演や第2次世界ツアーなど、YMOのツアーに帯同していた雑誌編集者・根本恒夫さん。彼が見たYMOとは、どのようなメンバーだったのか?追悼・坂本龍一
―――
さまざまな分野で類まれな才能を発揮してきた坂本龍一さん。雑誌編集者・根本恒夫さんが坂本さんとの出来事の記憶をたどる。坂本龍一さんの本 前編
―――
音楽、映画、執筆、社会活動など広い活躍の幅に合わせて、執筆本も多岐にわたる。前編では、『音楽と生命』『龍一語彙』『坂本龍一とは誰か』などをご紹介。坂本龍一さんの本 後編
―――
後編では、『N/Y 坂本龍一写真集』、『THE GEISHA GIRLS SHOW』、『友よ、また逢おう』、『時には、違法』、『音楽図鑑』、『未来派2009』などをご紹介。