
江戸の中心部から近いながら、海を望む雄大な景色が広がる。時に増上寺の鐘が聞こえるなど、風流な花見が楽しめた。桜を愛でつつ飲む酒、食べる弁当は、花見の大きな楽しみの一つ。錦絵の女性は宴の準備をしているのか、重箱を開いてうれしそう。ちょいとつまみ食い!?
広重『江戸むらさき名所源氏御殿山花見 見立花の宴』江戸紫名所源氏、国立国会図書館デジタルコレクション
(右)吉原仲之町
現在の台東区千束にあった新吉原の目抜き通りは、ふだんは“桜っ気”のないところ。春だけ桜を移植する、人工的・期間限定の名所だった。満開の夜桜が行灯に照らされる中を、花魁道中が練り歩き、吉原ならではの幻想的にして異な光景を現出させた。
広重『吉原仲之町』東都三十六景、相ト、国立国会図書館デジタルコレクション
御殿山、飛鳥山……
あと二つ、人気スポットを紹介しよう。一つは、現在の北品川にあった御殿山。吉宗の時代に、花見の名所として整備された。桜とともに船の行き交う海の眺めが楽しめて、大いににぎわった。残念ながらペリーの来航により、砲台建設のために山が切り崩され、規模は縮小されたが。
もう一つの飛鳥山は、現在の北区・飛鳥山公園に当たる地。吉宗が桜を数千株植えさせ、名所とした。江戸の中心部からはやや遠いが、北に二つの山頂を持つ筑波山、西に富士山を望む眺望がすばらしい。
このほか人工的な期間限定の名所として設えられた新吉原や、江戸の中心部から7里半(約30km)とちょっと遠い小金井など、いずれ劣らぬ個性的な名所がそろう。
いずれにせよ、江戸の花見は庶民の娯楽。「長屋の花見」という落語があるように、棟割り長屋に暮らす人たちがみんなで上野や飛鳥山に繰り出すのが定番のスタイルだった。前の晩から支度をし、一日がかりで楽しむこの一大イベントに、江戸の人はふだんの暮らしにはない「花」と「華」を求めたのだろう。
もっとも武家の花見は、少々趣が異なっていた。自分の屋敷の庭に咲いた桜を眺めながら、数人が集まって静かに酒を酌み交わすスタイルだ。池波正太郎の『鬼平犯科帳』に、こんな場面が描かれている。
「今戸焼の筒型の花入れに、咲きそめた桜の一枝が挿しこまれてあった。
それを真中に置き、五人の男と一人の女が酒をくみかわしている。
四つほどの重箱には、軍鶏を酒と醤油で煮つけたものや、蕨の胡麻あえや、豆腐の木の芽田楽などが詰めてあり、大皿には鯛の刺身がもりつけてあった」
ご存じ、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵が、彼の信頼する六人の密偵たちとともに密やかに楽しんだ、こういう静かで落ち着いた花見もオツなものである。
最後に、花見の歴史を振り返ろう。庶民の間に広がったのは江戸時代だが、花見を楽しむ文化自体はそれ以前……遠く奈良時代の昔に始まった。