MASERATI CLUB OF JAPAN会長・越湖氏が綴る

Photo Shinichi Ekko Text Shinichi Ekko

イタリア訪問記

写真

ユニークなサルーンやスポーツカーを世に送り出し続けてきたイタリアが誇る車メーカー「マセラティ」。その素晴らしさに魅せられて1992年にマセラティを楽しむ人達が集うオーナーズクラブ“MASERATI CLUB OF JAPAN”が発足。マセラティ本社の公認を受け、日本のインポーターとの協力体制を確立してクラブを立ち上げたのが、現会長である越湖信一氏だ。ヨーロッパの自動車クラブ文化のようなクルマを通した新しいコミュニケーションを広げるべく、年を通して様々なイベントを開催。今ではメンバーが150人に上るまでになった。そんな彼がマセラティに出会ったのが25年前にイタリアへ出張した際のこと。以降も頻繁に訪れるイタリアの文化にはかなり精通しているというのもうなずける。今回は、マセラティをはじめとするイタリアの文化を越湖信一というフィルターを通して紹介。彼だからこそ知りうる食や芸術、もちろんマセラティの話も存分につまった旅行記だ。マセラティの魅力とともにイタリアの文化を存分に堪能してほしい。

モデナのマセラティ本社を訪ねて

(上)歴代のマセラティが描かれた従業員用パーキングビル。すでに満杯で、“あぶれた”ワーカー達は近隣の住宅街へ。(下)ショールームは一般にも開放され、最新ラインナップがディスプレイ。
(上)歴代のマセラティが描かれた従業員用パーキングビル。すでに満杯で、“あぶれた”ワーカー達は近隣の住宅街へ。(下)ショールームは一般にも開放され、最新ラインナップがディスプレイ。

マセラティの本社は北イタリアのモデナに位置し、鉄道モデナ駅から歩いても程ない市街にある。年間生産台数が8,600台(2008年度の決算発表より)を誇る規模の車メーカーがこのような市街地にあるというのは珍しい。私は、年間数百台の生産レベルであった1998年当時にルカ・ディ・モンテゼモロ氏(現フィアット及びフェラーリ会長)によって発表された、“年間8,000台以上を生産する”というファクトリーの大改装計画を思い出した。この拡大によりマセラティ本社ワーカーが増加したこともあり、現在では、隣接する住宅街にもたくさんのマセラティ車が停まっており、その様子はモデナの街に溶け込んでいる。

訪問した日は残念ながら雨にたたられたが、ファクトリー内では多くの友人たちと再会を果たし、工場ラインの取材を始める。

“自分らしさ”というマセラティの姿勢

(上段左から)“手作り”の少量生産メーカーとしては最新鋭のラインをもつ。女性ワーカーも多い。(下段右から)このような耐水検査をはじめとする品質検査工程にかける比重はますます深まっている。雨の中およそ50kmのテストドライブから戻ったグランツーリスモ。
(上段左から)“手作り”の少量生産メーカーとしては最新鋭のラインをもつ。女性ワーカーも多い。(下段右から)このような耐水検査をはじめとする品質検査工程にかける比重はますます深まっている。雨の中およそ50kmのテストドライブから戻ったグランツーリスモ。

ファクトリーでは、クアトロポルテとグランツーリスモが2本のラインのフルキャパシティー稼動により一日50台を作りあげる。さらにまだ多くの未生産分を抱えるアルファロメオ8Cもこのラインに乗って作られているのだ。アッセンブルのラインはこのように“混雑”具合が増したのが感じられる。

このところ大きく変化したのは、ラインで完成されたあとの検査工程である。以前はフェラーリのエンジンアッセンブリーラインで完成したエンジンを再度マセラティ内で独自のテストベンチにかけ、それからモデナ市街でのテストドライブへと飛び出していったのだが、現在はマセラティのテストベンチは省略され、完成した車両で50kmのテストドライブが行われる。大変念入りな検査工程を経て、構内にある外部の検査会社のブースでさらに問題がないかチェックをする。このような念入りなチェックのほかにも、マセラティらしさがこのファクトリーにはあふれている。それは、“創造的な提案を行うシステム”だ。そこから生まれるのは“どんな仕事をしようとも、自分は他人とは絶対違うものだ”という固い信念の中であり、私は彼らの前向きな顔が忘れられない。

マセラティスタとリストランテ

(上)充実したストックは、長年にわたるワイナリーとのコネクションの為せる技。(下左)マセラティスタのご夫妻とディーノそして厨房を担当する奥様。(下右)マントヴァからのアクセスが便利な「リストランテ アッラ トッレ」外観。
(上)充実したストックは、長年にわたるワイナリーとのコネクションの為せる技。(下左)マセラティスタのご夫妻とディーノそして厨房を担当する奥様。(下右)マントヴァからのアクセスが便利な「リストランテ アッラ トッレ」外観。

モデナからさらに北へ車で少し走るとマントヴァの圏内となる。ここには、日本人にも人気のリストランテが数多くあり、どれも不便なアクセスにもかかわらず、多くの人々がこぞって足を運ぶほどである。我らがマセラティスタ達にとってこれらのリストランテは気のあった仲間と楽しむ所でなくファッションだという。それは表面的なブランド至上主義の影響ではないだろうか。

さて、今回ご一緒したマセラティスタはイタリア在住の日本人U氏とマントヴァのコンテッサ(貴族)である奥様。彼らが招待してくれたのは「リストランテ アッラ トッレ」。小奇麗な広場にオーナーの名を模したバール「バール ディーノ」とともに控えめにたたずむ。ワインのビジネスにも長く携わり、話が弾むと案内してくれる地下のセラーには毎度興奮させられる。そこには、命を賭けた真剣さのあったころのワインである“ガイア”が埃まみれに並ぶ。客たちは興奮してそれをディーノに乞うが、彼は首を振りまじめくさってつぶやく。「これは私が死ぬまでに呑むと決めているんだ」と。そんなたくさん呑める訳ないよと、実はこっそりとわけてもらったことがある私だが、ワインの状態の良さはすばらしい。

美味なマントヴァ料理を食す

(左)猪の煮込み。ソースはナチュラルなマントヴァ風。(右上)ディーノの奥さんが一人で取り仕切る厨房。(右下)ベストシーズンの白トリュフを惜しげなくちりばめたタリアテッレは定番メニュー。
(左)猪の煮込み。ソースはナチュラルなマントヴァ風。(右上)ディーノの奥さんが一人で取り仕切る厨房。(右下)ベストシーズンの白トリュフを惜しげなくちりばめたタリアテッレは定番メニュー。

イタリアワインの本当のおいしさを楽しめる貴重なリストランテである同店。ディーノの奥様が一人で取り仕切る厨房からサーブされる料理も絶品である。マントヴァの伝統料理であるかぼちゃやうなぎ、サルーミ類のこだわりはすばらしい。特筆すべきは、食材がナチュラルであること、そしてクオリティが最も素晴らしいことにこだわるので、イタリア料理特有のもたれが全くないことである。タルトッフォ(白トリュフ)も惜しげなく振舞われ、比較的重いマントヴァ料理を妙なアレンジなくしっかりとたべさせてくれる。帰りに厨房から我らの同胞が現れ挨拶してくれたっけ。マセラティスタとの夜はなかなか終わらない。

●リストランテ アッラ トッレ
Piazza Matteotti, 5 46013
Canneto sull’Oglio – MN
TEL +39 (0)37 67 01 21

広報 チッタディーニ氏のこと

(左)マセラティ広報の“要”がこのチッタティーニ氏。(右)1930年代の古いコースが何箇所か残るモンツァサーキット。広大なので、くれぐれも計画性を持って歩かれたい。
(左)マセラティ広報の“要”がこのチッタティーニ氏。(右)1930年代の古いコースが何箇所か残るモンツァサーキット。広大なので、くれぐれも計画性を持って歩かれたい。

マセラティ本社の広報を仕切るチッタディーニ氏は日本びいき。以前お土産に渡した竹茗堂 のウス茶糖がお気に入りで愛娘スヴィーヴァちゃんはミルクにとかしたのが大好物。Cittadini(チッタディーニ)=市民 ということで日本名「市民」の名刺を持つほどのこだわりよう。さて、かれはヨーロッパの自動車メーカーの広報マンとしては珍しい生まれついての車オタク。モンツァサーキットで有名なミラノのお隣の街、モンツァで生まれ育った彼は、小さいころからサーキットに出入りしてフィアット500を初の愛車とした筋金入りのエンスージアスト。ヨーロッパでは特にだが、車メーカーに勤めるからといって、車マニアかというと大きな間違いなのである。ビジネスはビジネスと割り切った考え方が主流だからである。それを考えると、各国で行われるモーターショーのアレンジやCEOのスピーチ文章を作りあげるチッタディーニ氏は本当によく働く。普段はモデナの会社近くのアパートに住み、週末は愛する家族の待つモンツァの自宅で過ごす。モンツァサーキットは緑あふれる公園の中にあり、レースの行われない日は静かな佇まいだ。

洗練されたモンツァ風田舎料理

(左)モンツァの美しい公園の中にあるリストランテ サン・ジョルジュ・プルミエ。(右上)待望の第一子スヴィーヴァちゃんには二人もメロメロ。(右下)「死者のパン」。縁起かつぎにこだわるイタリア人にしてはストレートな名前のドルチェである。
(左)モンツァの美しい公園の中にあるリストランテ サン・ジョルジュ・プルミエ。(右上)待望の第一子スヴィーヴァちゃんには二人もメロメロ。(右下)「死者のパン」。縁起かつぎにこだわるイタリア人にしてはストレートな名前のドルチェである。

勝手しったるチッタディーニ氏は顔パスでゲートをくぐり、改装前の路面の残る箇所や、昔のままにリストアされたピットなどを案内してくれ、公園内にあるリストランテで奥様とスヴィーヴァちゃんと食事をした。そこでサーブされた料理は、きれいに煮込まれたレンズ豆、ジビエもピエモンテあたりの荒々しいものではなく、洗練されたモンツァ風田舎料理で、大いに満足であった。

イタリアを訪れた11月の初旬にでは、北イタリアで“Pane dei morti(パン デ モルティ)”、その名も「死者のパン」という松の実の入ったチョコレートケーキを食べる風習がある。この日もそのパンが振舞われ、甘いものが大の苦手である私であるが、彼らに諭されて恐る恐る食した。シンプルな味であった。苦手といえば、日本“オタク”のチッタディーニ夫妻だが、残念なことに魚が苦手。以前、来日した際、それでは最高の寿司をと、中町あたりを目指そうとしたが、賛同を得られなかったのだ。「次回、日本に来るときにはぜひ、魚を克服しておいてくださいね。」とメッセージし、私はイタリアをあとにした。

●リストランテ サン・ジョルジュ・プルミエ
Viale Vedano n° 7 – 20052 Parco Reale di Monza (MI)
TEL +39 (0)39.32 06 00

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。