明治から大正、昭和初期にかけて近代化が急がれた日本において、ダイヤモンドや貴金属取り扱いの礎を築いた実業家にして、貴族院議員としても活躍した山崎龜吉。K18、K24などのゴールドの品位を示す規定を日本で初めて立案した人物でもある。叔父が明治3(1870)年から営んでいた貴金属装身具卸の清水商店に奉公後、同店を引き継ぐと山﨑商店に改称し貴金属の取り扱いを拡大。後に田中貴金属と経営統合し、現在のギンザタナカへとつながっていく。
また、大正7(1918)年には、懐中時計の国産化を目指し、尚工舎時計研究所を創設。これが、現在のシチズン時計のルーツとなった。つまり、シチズンとギンザタナカは、ともに山﨑龜吉を創業者とする同士なのである。
そんな両者の初コラボレーション腕時計が、令和という新しい時代を迎え、発表されたことは興味深い。ベースは尚工舎時計研究所が大正13(1924)年に初めて“CITIZEN”の名の下に発売した「16型懐中時計」。命名は、東京市長として関東大震災後の復興に尽力した後藤新平伯爵。「市民に愛され親しまれるように」との願いが込められていた。
この懐中時計は、昭和天皇愛用の栄誉にも浴している。昭和天皇の侍従を務めた木下道雄氏の著作『宮中見聞録』に、こんな記述がある。
木下氏は「16型懐中時計」を当時皇太子であられた昭和天皇に献上した。ある会合の席で、時計の精度が話題にのぼった際、《陛下は、無造作にズボンの右のポケットから、懐中時計をとりだされ、「わたしの、この時計は、12円50銭の国産品だけれども、よくあうよ」と、おうれしそうに皆に示された》という。
「CITIZEN×GINZA TANAKA プラチナモデル」は、この歴史的懐中時計のDNAを受け継ぎ、腕時計として現代によみがえらせたものだ。ケースには、ギンザタナカ製のプラチナ950を採用。通常はプラチナ95%にパラジウム5%という組成だが、今回特別に金5%を配合した。神秘的な光沢感だけでなく、ステンレス並みに強度も向上し、資産価値も高められた。
球状に削り出された文字盤や、オリジナルから手書きでトレースし調整配置されたアラビア数字のインデックス、またブルーに輝くカテドラル針も、16型懐中時計を彷彿とさせる。搭載されている自動巻きキャリバー0910は、シチズン創立80周年を機に開発されたもので、全製造工程を自社内で完結できるマニュファクチュールとしての矜持が詰まっている。サファイアバックからは繊細な仕上げに加え、ローター上の「☆S(ホシエスマーク)」を見ることができる。これは、ギンザタナカが品質保証の証しとして、前身の清水商店の時代から刻印してきたものだ。
この時計を腕に着ければ、プラチナの重さが心地よい。近代化日本の功労者・山﨑龜吉の思い、そして日本の時計と貴金属の歴史の重みまでもが伝わってくるようである。
●シチズン フラッグシップストア 東京
TEL 03-6263-9987
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※営業時間はストア公式サイトをご確認ください。
●CITIZEN×GINZA TANAKA プラチナモデル
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※『Nile’s NILE』2020年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています